阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「パン・オ・レザン」山本美穂
木目の綺麗な大きな板に、シンプルな飾り文字で『パン・オ・レザン』と書かれた看板を見上げる。パン屋として独立するという、長年の夢が叶った喜びがこみ上げてくる。いよいよオープンだ。
小さい頃からパンが好きで、製菓学校を出た後フランスに修行に出て、必死でパン作りを学んだ。くるくると渦巻きになったパン生地に、宝石のような干し葡萄が入った本場のパン・オ・レザンを食べたとき、こんなにおいしいものがあるのかと感動した。そのときの感動が、つらい修行を乗り越える糧となった。地元に関西に戻り、やっと自分の店が持てた。店の名前もそのパンの名前をつけた。もちろん主力商品で、一番目に付くところに置いてある。このパンを、できるだけたくさんの人に食べてもらいたい。今日がその第一歩だ。店のオープンが、偶然にも令和元年という時代の節目になったことも、運命を感じる。
カランコロン。お客様第一号がいらっしゃった。
「レザンって何や?」
いかにも地元のおばさま、といった、アニマル柄の服を着た女性のグループだった。
「レザンは、干し葡萄です。パン・オ・レザンは甘めの生地に、酸味のきいたレザンがとても合うんですよ」
さっそく、このパンが注目されているのがうれしくて、ニコニコしながら説明した。
「なんや、干し葡萄のことかいな。『レザン』なんて、気取った名前つけて。要するに、ぶどうパンやろ」
思わず笑顔が固まる。
「わかりやすく書いたらええやんか。名前よりは中身が大事なんやし」
ずけずけと、おばさまたちは続ける。
「は……はい。おいしいですよ」
そういうのが精一杯だった。
「ほな、ひとつもらおうかな。ほんまにおいしいんやろな。」
「は……はい。」
未晒しの紙に渦巻き模様のパンのかわいいイラストを印刷した紙袋にパンをつめる。
「え? 紙袋だけ? レジ袋はないんかいな」
紙袋から、フランスパンがちょっと飛び出したのを、抱えてたり、自転車のカゴにのせたりするのが、かっこいいと思い、あえて紙袋にした。もちろんエコロジーも考えて。女子はそういうのに憧れるはず。「元」女子であっても…。
「まあ、ええわ。おいしかったら、これからも買いにくるわ。おおきに」
嵐が去ったように、おばさまたちは出て行った。脱力する。パリの雰囲気が、一気に崩れ去る。
その後も、たくさんのお客様が来てくださったが、反応は似たようなものだった。
「CLOSED」の札をかけながら、大きくため息をつく。私は、お客様のニーズにこたえられていないのか。いや、自分がやりたいことを実現するために、自分の店を持ったのではないのか。いやいや、本質的な問題は、パンの味だ。でも、やっぱり味だけではない。開店する前に、マーケティングも怠らず、散々シミュレーションしたはずなのに。現実を目の当たりにすると、ブレてしまう。店のオープンは、ゴールのような気がしていたが、スタートだったのだ。私は、この店をどうしていくべきなのか。
葛藤の渦の中、悩み続けて一ヶ月。カランコロン。
「また来たで。ここのパンは気取ってるけど、おいしいさかいな。もっと庶民的やったら、毎日来るんやけど…ん??」
おばさまたちが、気づいてくれた。この店の一押しを集めたテーブル。
昭和コーナー。コッペパンに干しぶどうを散らした「昔懐かしぶどうパン」
平成コーナー。ふわふわ食パンにレーズンがたっぷり「これぞ定番レーズンパン」
令和コーナー。うずまきパイ生地にレザンの酸味「新時代にパン・オ・レザン」
「これこれ、これが食べたかったんよ。コッペパン」
「そうそう、レーズン。レーズンっていう響きが、いつもより上等な気がしてうれしかったなあ」
「まあまあ、元号も変わったしな。新しいものも取り入れていかんとな」
おばさまたちの目が、キラキラしている。そう、味だけじゃない。見た目だけじゃない。おしゃれさだけじゃない。お客様にいかに喜んでいただくか。私がどれだけ楽しむか。
「これ、三つとももらうわ。」
甘くて酸っぱい自慢のパン! どうぞこの味、召し上がれ。