阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「制限時間は一房」堀青
一房の葡萄には一体何粒ほどの実が付いているのだろうか。食べながら数えてみたが十を越したあたりで早々に数えることに飽きた。一粒ちぎり食べ、一粒ちぎり食べているがなかなか減らない。そんなこんなで黙々と食べていると気付けばあっという間に半分くらい食べている。無心に食べていると半分なんてあっという間である。そのまま続けてひたすら食べる。すると気付けばあと十数粒と数えられる程度しか残っていない。残りがまだまだあると思っているうちは特に気にもせずにバクバクと食べているが、残りが少ないとわかると突然食べるのが惜しくなってくる。食べる速度も急速に落ちる。残りいよいよ五粒ほどになってくるとサァ大変、である。その五粒をまるで貴重な幻の果実かのように噛み締めて味わいだす。
残り五粒…最初の一粒を食べた瞬間を思い起こしてみる。何でもそうだが食べ物の最初の一口の美味しさというものは、食べ物そのものの美味しさというよりも食べたい欲を満たしてくれる喜びに満ち溢れていて、一様に美味しいの一言に尽きる。そのような気持ちに立ち返って惜しみなく口に放り込む。
残り四粒…今まで食べてきた葡萄の味を思い出す。いま食べているこの粒ははたしてどの粒よりも美味しいだろうか。今まで食べてきた粒の味を思い返して比較して、今から食べようとしているこの粒がその中でも何番目くらいに位置する味かをランク付けしてみる。
残り三粒…感触を噛み締める。味もさることながら、葡萄の持つ柔らかくも弾力のある瑞々しい感触に舌鼓を打つ。それまでは甘みがあるかないかばかりに気を取られていたが、待てよ、葡萄は味の甘みだけではなくその他にも楽しむべきポイントがあるはずなのだと思い、食べる前に執拗に香りを嗅いでみたり色を楽しんでみたりと無理矢理に五感を駆使して堪能する。
残り二粒…これはフィナーレを飾る前の助走だ。次が最後の一粒となるのだ。最後の一粒はおそらく最後にふさわしい素晴らしい味、感触、香りであるだろう。なので今から食べるこの最後から二番目の粒にはさほどの期待はしていない。どうにでもなれご自由にどうぞという気分である。甘さが足りなくてもいい。多少不細工な感触でもいい。香りなんか最早なくていい。あるがままに口の中に放り込まれてくれ。君は最後の粒の引き立て役になってくれたらいいのだから。
ついに最後の一粒になった。これでこの一房の葡萄と過ごした優雅なおやつの時間が終わる。ふいに、これまでに食べてきた一房への感謝が込み上げる。そしていよいよ最後の一粒、最後を飾るにふさわしい最高の味であれと願っていたものの、いざ最後の一粒を前にするとそのような傲慢な期待もなくなった。これまで、甘い粒や渋い粒、中には熟しすぎてやや腐っているようなものまであった。しかし総じて一房で振り返ると、それはひとえに甘くて美味しい葡萄であった。最後の五粒では、残り少ないことに躍起になって目の前の一粒しか見えていなかったが、最後の粒になってようやく房としての葡萄に感謝し、ただただありがたくパクッと食べた。
人生というのもそんなものなのかもしれない、とふと思った。ただただひたすらに一日、一ヶ月、一年を過ごしているうちに気付けば人生半分。そう思うと急に時間が惜しくなって、何か人生に意味を持たせたくて試行錯誤し、己の年齢に付加価値を求めて慌てだす。しかしいざその人生も終わるという頃になるとただただ過去のひとつひとつを懐かしみ慈しみ尊び、最後は感謝でもって幕を閉じるものなのかもしれない。あと何粒残っているかわからないが、なんとなくダラダラ食べるだけのような人生は送りたくないものである。
一房の葡萄は、己の命の有限性についても訴えかけてくるのであった…と静かに物思いに耽ったのも束の間、早々に二つ目の葡萄に手を伸ばしている。まだまだ、人生勉強中。