阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「長い戦争」一色 類
「長い戦争だった」
「そうだね。長い戦争だった」
「長かった」
「長かったね」
仕事帰りに立ち寄った居酒屋のカウンター席で飲んでいたら、その会話が聞こえてきた。気になって、会話が聞こえてきた方を振り向くと。四人の男が四人掛けのテーブルで猪口を手にうつむいていた。テーブルの真ん中に深い穴があいていて、その底をのぞき込んでいるようなうつむきかげんだった。店の中は混み合っていてにぎやかだというのに、どうして周囲の声や音を縫うように四人のもそもそとした会話が僕の耳に届いたのか。
四人は猪口を手にテーブルの真ん中の深い穴の底をのぞき込んだまま、黙ってしまった。どこがどう似ているというわけではないのに、四人は四つ子のようだった。美術館の常設展コーナーに置かれている、一連のテーマを与えられてはいるもののいつも退屈している四体の銅像のようだった。
ボクは四人から目を離すことができなかった。
四人のテーブルに行き、テーブルの真ん中にあいている穴の底を一緒にのぞきたい、そんな衝動にかられていた。
四人の中の一人がおもむろに口を開いた。
「子ヤギを見たんだ」
うつむいているので、四人の中の誰が言ったのかはわからない。
「生まれたばかりの子ヤギが死んでね、その前の日の夜に、子ヤギの夢を見た。まるで自分の運命がわかっているかのように、死から逃げるように、目の前を走り去って行った」
「悲しい夢だね」
「悲しくて、何だか美しいね」
「それで、戦争の話はどこまでしたっけね」
「あぁ、あれは長い戦争だった」
四人の会話は再開し、もとのループに戻った。僕もまたやっと何かから目覚めたように、カウンターの自分の酒に向き直った。
気がつくと、四人はもういなくなっていた。店はあいかわらず混み合っていて、四人のテーブルにはすでに他の客がいた。少し背筋を伸ばしてそのテーブルをのぞいてみた。あたりまえだけれど、テーブルの真ん中に穴はあいていなかった。
会計をすませて外に出ると、いきなり目の前に白いものが飛び出してきて、一瞬立ち止まったものの、すぐに走り去ってしまった。
「子ヤギを見たんだ」
後輩の社員にそう言うと、彼はぽかんとした顔で僕を見た。
「いつ、どこで、ですか?」
「昨夜、いつもよく行く居酒屋の前で」
彼の表情が不安気に揺れた。
「そんなところに子ヤギがいるわけないじゃないですか。でかい犬だったんでしょう。酔っていて見まちがえたんですよ。さあ、そろそろ会議が始まりますよ。行きましょう」
会議室へと向かう途中、なあ、近頃長い戦争ってあっただろうか、と僕は後輩の背中に向かって心の中で語りかけた。
気になって仕方がないんだよ。あの四人は、長い戦争のことを、自分たちのすぐ近くでつい最近終わったような口ぶりで話していた。何十年か前のことではなく、遠いどこかで起こったことでもなく。
数か月後、僕は後輩を連れてその居酒屋に行った。もしかしたら、と店の中を素早く見渡したけれど、四人の姿はなかった。
「で、あそこで子ヤギを見たんですよね?」
すっかり酔っ払った後輩は、へらへらと笑いながら店の入り口を指差した。僕は適当に相槌を打ち、四人がやって来はしないかと、そればかりを気にしていた。
「いやあ、それにしても、今回のコンペ、勝つことができてよかったですよねえ。本当に、長い戦争でしたよねえ」
僕はぎょっとした。
「え? 長い戦争って、何でそんなこと?」
「何でって、コンペに参加するって決まった時に先輩が言ったんじゃないですか。これは長い戦争になるなって」
「え?」
「でも、先輩が子ヤギの話をした時はさすがに焦りましたよ。よっぽど行き詰っているのかなって。マジで心配になって、課長に相談までしちゃいました。先輩がおかしくなったかもしれないって。そしたら課長、『長い戦争には子ヤギくらい必要だろう』って。やべえ、課長までおかしくなってるって、俺、もうどうしていいのかわかんなかったですよ」
いないのはわかっている。でも、僕はもう一度、店の中を見渡して、四人を探した。
「とにかく、長い戦争は終わったし、子ヤギはもういません。よかった、よかった」
後輩は僕のグラスにビールを注ごうとして派手にこぼした。