阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「スカウト」瀧なつ子
ええ、ですから何度も申し上げますけれど、裕太くんの走り方というのは、非常に優れているんですよ。タイムだけでは、測れない部分です。走るときにね、こういう姿勢を維持できるというのは、脚力だけではなく背筋や腹筋にも素質があるということですから。
そう、それでですね、わたしくしどものチームのコンセプトなんですけれども。
スポーツって、戦争なんですよ。
だって、そうではありませんか。オリンピックだって、世界陸上だって、国や地域という「チーム」でくくられているでしょう。ええ、ええ、そりゃあ他国にルーツを持つ選手が在籍する場合は多いですけれど、それでもその選手はその国の人として大会に出ているでしょう。たとえ、その国のことばがしゃべれなくてもね。
これだけ世界が小さくなって、連絡も行き来も簡単にできるようになっているのに、未だに「国」なんて低俗な括りでチームを編成しているなんて、その理由は一つ。
スポーツは「代理戦争」だからですよ。
そもそもね、お母さん。
スポーツの起源は、争いや略奪ですよ。
人類が英知を手に入れていく過程で、人殺しや暴力は非人道的な行為とみなされるようになってきた。それでも人間は、争いたい。戦いたい。そういう衝動を解消するために生まれたのが、スポーツでしょう。剣道やフェンシングなんか、まさに人を殺すための道具の原型がよく残っているじゃないですか。
ルールを導入して、可能な限り安全に行えば、それは暴力ではないとみなされて、スポーツマンシップという大義名分を掲げて相手を攻撃しているではないですか。
そう。スポーツは戦争です。特に世界的な大会では。だから、なんとしてでも勝ちたい。そうして国家ぐるみで選手を強化して、ときにはドーピングなどのルール違反を犯してまで戦士を、兵士を強くする。
いえね、わたくしがなにを言いたいかといいますと。
裕太くんは、非常に陸上の才能に恵まれています。
このまま行けば、名門校がほうっておかないでしょうし、そうなればやがて大きな大会で勝ち抜き、近い将来は「日本代表」としてトラックに立つことと思います。
でも、お母さん。
それで、いいんですか?
戦争ですよ。
学校や企業のチームはある程度選べるかもしれませんがね。
国を選ぶことは非常に難しい。ご両親ともに日本人ですし、出生も日本だから他国の国籍を取ることはまず難しいですよね。
なにも考えないで、日の丸を背負わされて本当にいいんですか?
ああ、そうですね。確かに、栄誉なことですよ。日本人に生まれて、その国の代表になって世界で戦うっていうのはね。
でもね、考えてみてください。
太平洋戦争のときに徴兵されて戦地に送られた人たちも、似たようなものだったのではありませんか。栄誉とされていたじゃありませんか。お国のために戦うんだってね。
ですからね、大事なお子さん、ましてやこんな才能のある息子さんを、そういう将棋の駒みたいなものにして、いいんですか?
ああ、すみません。お母さんを責めているんじゃないんですよ。
わたくしはただ、このリベラルな時代においてなんの疑問もなく「国」というくくりで戦わされていることに気がついてください、というお話をしているのです。
その点ですね、わたくしどものチームは、生まれた場所やルーツによらない要素で選手を構成しているんです。
ええ。わたくしどものチームは「思想」で集っているんです。
あやしく聞こえます?
でもね、お母さん。
実はもう、世界的に水面下では準備がなされているんですよ。
オリンピックも世界陸上も、じきにそういうチーム編成になるんです。世界はようやくそういう方向を向き始めました。
もっと、高次なものを掲げて戦うんです。
あ、いや。そんな物騒なことではないんです。
でも、どうせ自分の才能を発揮して人生をかけるのであれば、生まれた場所なんかじゃなくて、自分の心が従うもののために戦いたいでしょう。
大丈夫ですよ。心理面のサポートもしっかりしていますから。
良いお返事、お待ちしておりますね。