阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「キリン、かもしれない」青野透子
辿りつきたかったわけではなかったが、辿りついてしまった。それは彼のブログである。なぜそのブログが彼だと特定できてしまったのかというと、赤裸々に書いてある記事のなかに、私のことまで詳細に書かれているのをみて、あっ、と思ったのである。私のことは、いちおう大筋は事実の通りに書かれてあったけれど、ほとんど美化されていたので、そのことに不満を感じているわけではない。では、辿りついて「しまった」という感じを受けたのはなぜか。
それは、彼がブログのなかで自分はもしかしたら「キリン」ではないか、と悩んでいたからである。
キリン? と私は最初、冗談だと思って鼻を鳴らしながら読み進めていたが、どうやら彼は深刻に悩んでいるらしい。悩む必要もなく、彼はどう見たって人間だし、人間だから社会生活を営み、私とつきあっているわけなのだが、どういう思考の跳躍か、彼は自分自身を「キリン」だと疑うようになったのだった。
キリンだと思う根拠といえば、
「背が高い、足が長い、しかも僕は正直いってきれいな顔なんです。それに食べるものも、お肉よりもサラダのほうがいい。――あと、極めつけは首のあたりにできている痣。見れば見るほどキリンの斑紋だと思ってしまう」
ということである。はっきりいってそれだけの条件でキリンだと疑うのは、はなはだ無理がある。無理があるのだけれど、彼はその問題についてさらに記事を書き続け、「これを彼女に明かしたら、僕らの仲がどうなることだろう」と悲観している。明かすもなにも、もう私は彼の赤裸々なブログを読んでしまっている。はて、どうしたものだろう、と考えて、これは彼を「君は紛れもなく人間だ」と念入りに説き伏せるしかないのだろう、と思った。
それを読み終えたあと、彼からメールがあった。今度の休日、どこにいきたい?ということだった。私は考え考え、実際に現場に連れていき、現物とふれあって彼を改心させるのがいいだろうと思い、「動物園にいきたい」とハートマークをふたつくらい並べて送った。返信は遅かったが、「いいよ」と半笑いの顔文字つきで送られてきた。
約束の日に、彼は青い車で私を迎えてくれた。改めて彼を見ると、キリンに見えなくもないな、となぜだか改心させようとしている私自身が揺らいだ。今まで、友人に「彼ってすっごくイケメンで背が高くって足が長くって」などといっていたが、それらの言葉は「キリンみたい」に一括できてしまう気がした。
車を走らせながら、彼はとうとつに自分の父について話しだした。
「俺、最近父さんのことを考えるんだ。どんな感じだったのかなって。ほら、俺のとこ、子ども時代に父さん蒸発したじゃん?」
彼の父が蒸発した話は聞いたことがあった。そしてそれに加えて当時、彼の母はしきりに「あのひとは、人間じゃなかったのよ」と嘆いていたということも聞いていた。
「……今思えば、ほんとうに父さん人間じゃなかったのかな。だから蒸発しちゃったのかな」
などと、意味分からないことを彼は口走ってからそれが不用意な言葉だったみたいに、口を噤んだ。車内が沈黙のなか、私たちは動物園まで走っていった。
動物園で一回りした。なにも話さず、一回りした。彼がなんだか沈みこんでいるみたいなので、ブログのことは置いといて、動物園の原っぱみたいなところにふたり並んで座った。
「回ったなかでどの動物が好き?」なんて他愛もないことを聞くと、彼は少したじろぎ、
「……、動物なんて好きじゃないよ。臭いし、……人間じゃないし」
どうやら動物という言葉でさえ、警戒しているみたいだった。人間じゃないし、というところが彼の今のコンプレックスなのだろう。
「あのさ、さっきいっていたお父さんのこと」と意味深な言葉について聞こうとしたら、後ろからサイレンの音が響いた。
振り向いたら、一頭のキリンが原っぱを駆けているのである。
あっ、と口を開けている間にキリンは私たちの前を通り、原っぱの向こうまで走っていった。彼も立ち上がって「父さん!」と叫びながらキリンの後を追いかけた。私は彼に「待って!それはキリンなの!」と呼びかけながら、なおも自分の父だと信じて追いかけていく彼を追いかけていった。