阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「もう、きりんの話はしない」石黒みなみ
坂道を上り詰めて、私は後ろを振り返る。ここからきりんの群れが見える。でも、今日もきりんの話はしない。
私は恭子に会うために目の前の建物の中に入った。仕事を辞めたらとりあえずこのあたりに住みたい、と恭子は常々言っていた。確かに恭子の希望はかなったが、思ったような形ではない。
エレベーターで五階に上がると、恭子はすでにロビーに出て来ていた。車いすのまま、テーブルのそばにいる。
「どう?」
「どうって、相変わらず。この通り」
恭子は皮肉っぽい笑みを浮かべた。以前はこんな笑い方はしなかった。
バイクで転倒して、恭子が脊椎を損傷したのは一年前だ。一命はとりとめたが、手術後も左半身に麻痺が残った。ここはリハビリ専門病院なのだ。
恭子とは同期入社だった。すぐに意気投合して、休みには一緒に出かけるようになった。海外旅行もよく行った。ロンドン、パリ、ローマ、ブリュッセル、アムステルダム。美術館や劇場にも行き、おいしいものも一緒に食べた。
運動神経のない私と違って、恭子はスポーツも何でもこなした。それぞれ恋愛もしたが、どういうわけか五十歳を過ぎても私たちは独身だった。冗談ぽく「一緒に老人ホームに行こうよ」という私に、恭子はこう言った。
「でも、私たちってなかなかそういうところに行きそうにないわよ。絶対いつまでも健脚よ。だからね、辞めたらまずは高台に住みたいのよ」
恭子が言うのは、会社からそう遠くない港町だ。外国人の居留地が昔からある、おしゃれでモダンな街である。
「港にきりんがいるでしょ。あれを見るのも好きなの」
港にコンテナを持ち上げるクレーンが何台もある。色は赤と白だが、形がきりんに似ているので、地元では「海きりん」と呼ばれているらしかった。あんなのが好きなのか、と意外だった。
バイクも好きな恭子は、よく一人でツーリングにも行った。だんだん年をとるんだから気をつけないと、と言っても「私は大丈夫」といつも笑っていた。事故はそんな矢先、冬の山道でカーブを曲がり損ねて起きたのだ。
「死んだらよかった」
見舞いに行った私に、恭子は言った。それは、仕事も遊びも精いっぱいやる、元気で明るい恭子ではなかった。なんと言葉を返していいかわからなかった。退職すると、見舞客は一気に減った。恭子には姉がいるが、高齢の両親の世話を一人で担うことになり、恭子のところにはほとんど来れない。今では、訪れるのは私くらいだ。
退院しても、すぐに自宅で暮らすのは無理だろう、と手術をした病院の紹介でリハビリ専門のところに移ることになった。それが、偶然、きりんの見えるここだったのだ。
「よかったじゃない、きりんが見えて」
励ますつもりで言ったのに、恭子は不機嫌になった。
「あれはきりんじゃないわよ。走れないもの」
私は黙った。確かにそうだ。あれはただのクレーンだ。足は固定され、毎日重たいコンテナを持ち上げている。形はきりんに似ているが、かろやかに草原を走ることはできない。それ以来、私はきりんのことを口に出したことはない。
リハビリが始まったころは、車いすでもできるスポーツやパラリンピック選手のことを調べて、記事の切り抜きを持ってきたが、それもやめた。
「あなたは頑張っていないって言われてるみたいで嫌」
と恭子が言ったからだ。日常生活をなんとかやっていくためのリハビリだけでも、とても大変なのだという。
「それにね、一口に車いすの人って言っても、いろいろあるのよ」
確かに片手片足が動かない状態で出来るスポーツは限られる。しかも練習場が少ないので、そこまで行くのも一苦労なのだ。
面会には、お菓子を持ってきて、あたりさわりのない雑談をするだけになった。
「はい、今日はベルギーチョコ」
恭子は笑顔になった。
「行ったよね、ブリュッセル」
「そうそう、あの時恭子ったら、お財布盗られたって騒いで」
「うん、でもバッグの底にあったんだよね」
包み紙をはがして小さなチョコを恭子に渡す。お菓子は一口サイズで持ちやすく、崩れたり、ポロポロこぼれたりしないものを選ぶ。恭子の好きだったミルフィーユはもう買ってこない。
恭子はゆっくりとチョコを持ち上げて口に運んだ。きれいな食べ方だ。大丈夫。右手はちゃんと動くし、咀嚼の機能もしっかりしている。それでも、優雅にナイフとフォークを使って、ブリュッセルのホテルで食事をしていた恭子を思い出す。
私は窓の外のきりんを見る。春の明るい陽射しを受けて、青く輝く海に足を固定されたきりんは、今日も働いている。気がつくと恭子もきりんを見ていた。でも、もう、きりんの話はしない。