阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「赤おに青おに」朝霧おと
おもえば二十五年間、結婚披露宴の司会を職業として、多くのカップルの門出を見てまいりました。月に十組としたら優に二千件は超えているでしょうか。
けれどここのところ、それもぐんと減ってまいりました。そもそも入籍だけで済ます人が増え、披露宴のような華々しいことをしなくなったからです。ピーク時に比べると仕事量は半分になってしまいました。私も来年は五十歳、人前に出るにはルックス的に限界があります。あまり若すぎるのもいけませんが、老けた司会者というのもいただけません。というわけで、この仕事もそろそろ潮時かな、と思っております。
修羅場……ありました。勘が働くといいましょうか、打ち合わせのときのカップルの様子でなんとなく危機感を持つことがあります。つい先日、まるで映画のワンシーンのような出来事がありました。
乾杯が終わり、列席者の緊張も解けて歓談が始まろうというときでした。突然、扉が開き、ウェディングドレスを着た女性が入ってきたのです。みながあっけにとられている中、女性はまっすぐに高砂の席に進み、ドスの利いた声で言いました。
「お、め、で、と」と。
こんなこともあろうかとシミュレーションは常にやっておりました。スタッフにかかえられて退場する彼女に笑顔で言うのです。
「ご友人の迫真の演技、ありがとうございました。ご新郎ご新婦の絆がますます深まったことと思います」
笑い声と拍手が起これば一件落着。自分で言うのもなんですが、ベテラン司会者ならではの機転なのです。
やはり映画に影響される方が多いのでしょう。式ではなく披露宴の席上ですが、ダスティン・ホフマンきどりの男性もおりました。
平服の男性がつかつかとご新婦の元に近づき、彼女をさらっていったのです。あっという間のことで、ちょうどスタッフと話し込んでいた私はそれに気づくのに遅れてしまいました。怒り狂う新郎のご両親をなだめるのに苦労いたしました。
また新婦が式にも披露宴にも来なかったことがありました。もちろん式は中止でしたが、いまさらキャンセルできないということで披露宴は開かれました。とりあえずお客様には新婦の体調が優れないと伝え、まるで通夜のような宴だったことを記憶しています。
けれどどれも修羅場というほどのものではありません。私が遭遇した断トツの修羅場、それは二十年前のことになります。
宴も終盤にさしかかるころでした。クライマックスである新婦の手紙、花束贈呈とスケジュールは滞りなく進んでいたのですが、新郎父の挨拶のときにそれは起こりました。
「真由美さんのようなすばらしいお嬢さんをいただき、本田家としてこの上なくうれしく思っております」
そう新郎父が言ったとき、新婦父がぼそりと言ったのです。
「やったわけじゃねえよ」
悪い予感はしていました。ふたりはかなり酔っていたのです。人前で話すことの苦手な新郎父は、挨拶のスピーチを前々から気に病んでいたらしく、当日は緊張をごまかすためにお酒をしこたま飲みました。
対して、ひとり娘を結婚させるという喪失感でいっぱいの新婦父。自分を納得させるために、妻が止めるのもきかず浴びるようにお酒を飲んだようです。
カチンときたのでしょう。普通ならスルーするところ、新郎父の「なにい?」という言葉でゴングが鳴らされました。
「だから、娘をおまえんとこにやったわけじゃないって言ってるんだよ」
酒に強い新郎父は青い顔、酒に弱い新婦父は赤い顔、まさに赤おに青おにの対決です。初老の男ふたり、スポットライトの中での大乱闘が始まりました。
「ば、ばっかやろう」
「こんにゃろう」
マイクで頭を叩くゴツンという音、引きずられるテーブルクロス、宙を舞うワイングラス、会場には怒号と悲鳴が飛び交い、それはそれはすさまじい光景でございました。
ひとりは頬に傷テープを、ひとりは鼻の穴にテッイシュを詰め、ヨレヨレのモーニング姿でのお見送りとなりました。
私の経験上、これは後にも先にも修羅場のナンバーワンでございます。
その後ふたりは照れくささと気まずさからか、長い間疎遠になっておりましたが、孫が生まれたのをきっかけに和解いたしました。そんな父も今年で八十歳になります。相変わらず酒に弱い父ですが、たまに義父と飲み歩いているようです。あのときの映像は封印しておりますが、機会を見て娘に見せてやりたいと思っております。