阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「空を見上げて」荻野直樹
その妙な現象が流行りだしたのは、いつ頃からだったろうか?
当初はずいぶん、マスコミやネット上で騒がれたものだったが、今では、すっかり日常の一部として定着してしまった。
大人も子供もすんなりとその新しいメニューを受け入れて、習慣としてしまったのである。忙しく、少しでも楽をしようとする現代人にとっては珍しく思えるのだが、それは、その行為がひどく単純で、誰でも簡単にできることだったからに違いない。
朝でも昼でも夜でもいい。晴れていても雨でも構わない。たとえ数分間でも問題ない。空の彼方から誰かが自分を呼んでいる声を感じた時に、ただ空を見上げるだけでいいのである。
ある人はそれを神の啓示だと言い、ある人は仏の御心と言った。自分の心の声だと言う人もあれば、未来からのメッセージだと言う人もいた。ストレスの解消に役立てる人、決断の助けにする人もいたし、微笑を浮かべ聞いている人、喜びの涙を流す人もいる。全ての人に共通しているのは、その儀式が終わった後、生まれ変わったような気持ちになるということだった。
瞬く間に世界中に広がったこの儀式のお蔭で、犯罪の発生が大きく減少したとも言われていたのである。
さて、翻ってこの僕だ。
困ったことだが、まだ僕には何も聞こえて来ない。これまでは、僕にもその内にと高をくくっていたが、最近は焦りだした。どうやら仲間内でまだ空を見上げる日課がないのは僕だけのようだったから。とにかく、子供の頃から、仲間ハズレにされないように細心の注意を払い、長い物には巻かれに行くという主義の僕だ。何とかしなくてはならない。
僕は一計を案じた。
要するに、一日に一回、おもむろに、さも声を聞いたような、神妙な顔つきをして空を見上げればいいのだ。それを仲間と一緒にいる時にやる。そして、ちょっと興奮したように、それらしい感想を話せば良い。もともと当人にしかその声は聞こえないらしいから好都合だ。
もちろん、これは良いこととは言えない。仲間には悪い気もするが、迷惑をかけている訳でもないし、人間が生きていくためには、これぐらいの小さなごまかしは許されるはずだ。
ばれる可能性は僕自身が白状しない限りないのだから。とにかく、仲間はずれになることだけはまっぴらだ。
翌日。
僕は計画を実行した。
案ずるより産むが易いとはこういうことだろう。仲間達は何も疑わなかった。と言うよりも、もう余りにも日常になっていたせいだろう。僕は少し拍子抜けしたような妙な気分だったが、とりあえず、ほっとしていた。どうやら居場所を確保できたからだ。後は油断なくうまく続けていくだけだ。
そのうちに僕は妙なことに気がついた。
偽りで空を見上げているのは、僕だけではなかったのである。
僕自身がそうだからなのか、次第に僕はズルをしている奴が分かるようになってきた。
そして、そんな奴らが驚く程多い事に、内心びっくりしてしまったのだ。
何ということだ。
本当に声を聞いて空を見上げている人は、もう二割にも満たないし、どんどん減っているみたいなのである。
僕は黙っているけれど、仲間たちは、もはや誰も声を聞くことができなくなっている。けどそれを認めて仲間外れになるのが怖いからなのか、或いは、もう悪い癖になってしまったのか、必ず、仲間の前で空を見上げる行為をする。その度に、僕は笑いを堪えるのに必死になっている。誰かが、勇気を奮って、本当の事を言い出せばいいのだが、仲間にはそんな奴はいないようだ。もちろん、僕も出来る訳はない。もうしばらくこのパフォーマンスに付き合うしかない。
いつか、世界のどこかで、向う見ずな蛮勇者が、本当の事を暴露することがあるかも知れない。そうすれば、この現象も、一過性の妙なブームとして、後の歴史家が振り返るトピックになり終わることだろう。
どっちにしても、僕は、仲間が続ける間は続けて、仲間が止める時には止める。それだけのことだ。
あっと、そうそう。
もう一つ気がついたことがある。
青空は本当にキレイだという単純な事実。
これを再認識できただけでも、僕は良かったと思っているのだ。