阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ごちそうさん!」木内南緒
「あんまり真っ赤じゃないやつ、買うてきてよ」
果物好きで、中でも李に目がない母は、買い物に行く僕たち夫婦にそうリクエストする。
「いちいち言わんでも、わかってるって」
「赤すぎると酸味が物足りないんですよね。じゃあお義母さん、いってきます」
去年、父が亡くなったのを機に、近所に住んでいた僕たち夫婦は実家で母と暮らし始めた。心臓に持病のある母を妻が気遣ってのことだった。
買ってきたばかりの六個入りパックの李を、母は冷蔵庫にしまう前に一つ取り出した。どうやら冷えるまで待ちきれないらしい。
「お行儀わるいけど、堪忍して」
僕に言い訳するようにそういうと、母はざっと洗った李を台所で立ったまま、うまそうに皮ごと食った。
「ああ、ちょうどいい甘酸っぱさやわ」
ぺっ、と三角コーナーに吐き出された種は、そこまでしゃぶられたら李も本望だろうというほどの状態だ。
「まったく、誰が食べたか一目瞭然だな。そんなに好きなら、いっそ庭に植えればいいのに」
「なるほど、それは思いつかなかったねえ」
田舎ゆえ少しばかり広い庭がある。僕の提案に、苗木を植えてみることになった。意外にも家庭で育てやすい木らしい。植木屋に、受粉させなくても実がなるという品種を勧められた。うまくいけば、二年目で実がなるそうだ。
それからというもの、李の木は母にとってまるでペットのようだった。朝に晩に様子を見にいき、成長を見守る。葉が茂ってくると、ピンセットを片手に害虫退治にいそしんだ。人に聞いたり、自分で調べたりして、アブラムシにはビールを薄めたものをかけてみたり、牛乳をかけてみたりしていた。
「丁度いいリハビリになっているみたいよ」
父が亡くなってから沈みがちだった母が、李の木のおかげで明るくなったと妻も喜んでいた。
ところが母の献身の甲斐なく、三年たっても実がなるどころか、花すら咲かない。
自家製の李を心待ちにしている母を喜ばせたくて、僕も買った植木屋に相談したり、ネットでいろいろ調べたりした。けれど、実際そういうことは果樹にはよくあることらしかった。
結局、母は庭の李を口にできないまま亡くなってしまった。母の李好きはわかっていたのに、こんなことならもっと早く植えていればよかったと後悔した。
そして僕たちは、今年こそ仏壇に李を供えられるよう、母の仇でも取るような気分で、李の世話をするようになった。
僕たちの執念が実を結んだのか、はたまた李の成長のタイミングなのか、ようやく五年目にして、桜のような愛らしい白い花がぽつぽつと咲いてくれた。
やがて、マッチ棒のような青い小さな実が三つだけ付いた。祈るような気持ちで実の成長を見守る。大きくなってきたころ、鳥に狙われないよう木のまわりに杭を立て、大げさな農業用の網までかけた。やがて徐々に色づき、そろそろ食べ頃になってきた。
「今日お義母さんのお仏壇に、やっと庭の李をお供えできますよって報告したわ」
「赤すぎるって、おふくろに文句を言われないように明日、朝いちで収穫しよう」
満を持しての収穫日、僕は目覚めるとすぐハサミを手に庭に出た。
「やられた!」
母好みの赤さに色づいていた唯一の実だけが、跡形もなく消えている。網のほんの小さなすき間から鳥が入ったのだろうか。
こんなことなら昨日採ってしまえばよかった。母の残念そうな顔が浮かぶ。申し訳なさに、詫びでも入れようと仏壇の前に座った。妙に傾いている遺影は、母の怒っている証拠だろうか。
「あなたー!」
妻の大声に、はじかれたように台所に走る。
台所の三角コーナーに、これでもかというほど、きれいにしゃぶられた李の種がひとつ、入っていた。