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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ワスレモモ」井上真二

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第47回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ワスレモモ」井上真二

紙袋の中にはボール紙の箱があり、クッションがわりに新聞紙で下半分を包まれたスモモが、1ダース並べられていた。淡く紫がかった赤い実の肌から、酸味の効いた甘い香りが立ちのぼってきて、どこか懐かしい感覚に包まれる。

「網棚にあった忘れ物だ。親切な乗客が、事務所まで届けてくれたんだよ。落し主からは先ほど連絡があって、一時間もしないうちに取りにくるそうだ。片山君、対応を頼むよ」

恰幅のいい駅長が僕に紙袋を渡す。東京メトロの制服が、ほどよく張りつめている。

「分かりました。今度はしっかりとやります」

「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ。用紙に必要事項を記入してもらって、その紙袋を返せばいいのだからね」

ハイ、と僕は頭を下げる。

先月、ろくに本人確認もせず、落し物のスマートフォンを渡してしまったことがあった。引き取り用紙には記載漏れがいくつもあり、そのせいでちょっとしたトラブルになったのだ。使えない派遣スタッフだな、と思われたに違いない。

「慌てずに、リラックスだ。いいね」

駅長は、派遣スタッフ、正社員に関わらず平等に接してくれる。ミスは起こさないようにしよう、と、再び頭を下げた。

落とし主が駅事務所に現れたのは、昼休みが終わる頃だった。

「片山君、あのスモモのお客さん、通しておいたからな」

休憩室でまどろんでいると、正社員の青木主任から紙袋と、拾得物引取り用紙を挟んだバインダーを渡された。

「今度は頼んだぞ、用紙には必ず全て記入してもらって、紙袋を返す、な。コンプライアンス、な。何かあったら、俺を呼べよ」

まるで初めてのお使いだ。

応接エリアのパーテーションの中には、いかにも田舎から出てきましたという出で立ちの、年配の女性が俯き加減で立っていた。

「どうぞ、お掛けになってください」

テーブル前の椅子をすすめる。年配の女性は、深々と頭を下げた。

「こちらの用紙の方に、ご記入をお願いします」

もれなく記載してもらわなければならない。

「ここの欄には、大体でいいのですが、なくしたと思われる場所を書いてください。大体の場所でかまいませんから……」

女性が顔を上げた。

「……貴明?」

年配の女性の顔が、目の前で少しずつ、僕のよく知った顔に変わっていく。

「お母さん?」

「貴明、……なに、あなたここで働いてるの?」

僕は二度頷いた。

「ここの、正社員なの?」

「まさか、派遣社員だよ」

「いつから働いてるの?」

「……三か月くらいかな」

「じゃあ、コメディの方はもうやめたの?」

「だから、コメディじゃなくてお笑いだって」

「それ、まだやってるの?」

「……まあ、一応ね」

お笑い芸人を目指して三年前に上京したのだが、半年前に漫才コンビは解散してしまった。一足先に田舎に帰ってるわ、と言った元相方のことを思い出す。

「お父さんがね、どこかで風の噂を耳にして、見たわよ、テレビ」

「……テレビ? ああ、あれはテレビじゃなくて、ユーチューブっていうの。誰でも出られるんだよ」

元相方は、そちらの方面にだけ明るかった。自分達のネタを見られていたと思うと、冷や汗が出る。

「それで、今日はどうしたのさ」

「どうしたもこうしたも、あなたの顔を見に来たんでしょうが」

僕はこのメトロの沿線に住んでいる。

「いつ帰ってくるの?」

「わからないよ」

「だったらせめて、お正月ぐらいは顔を見せに来なさい」

頑固一徹の父と顔を合わせるのは、気が進まなかった。

「仕事はどうなの? みなさんにご迷惑をかけていないの?」

「それは大丈夫だよ。お笑いと仕事は別だから」

「……だったらいいけど」

母が紙袋に手を伸ばす。

「これ、あなたに持ってきたの。隣の、吉田さんのところで獲れたやつよ。ここの皆さんにお分けして、食べてもらいなさい」

吉田さんのうちからは毎年、スモモのおすそ分けをもらっていた。柔らかくも歯ごたえがあり、甘さが格別だったのを覚えている。

「じゃあ、行くわ。あなたの顔も見れたしね」

紙袋の中のスモモの香りと、母の化粧の匂いが混じり合う。

母は入り口のカウンターに向って深々とお辞儀をすると、駅事務所を出て行った。

「どうだ、片山君、用紙に記入、落し物を手渡し、コンプライアンス、大丈夫だったか?」

パーテーションの上から青木主任が顔を出す。

テーブルには、ほとんど記載されていない拾得物引取り用紙と、紙袋に入った1ダースのスモモが、置かれたままになっている。