阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「季語しばり」坂倉剛
君恋し されども君は 吾を見ず
「どうですか、先生?」平野奈々は気恥ずかしげにたずねた。
「そうだなあ」三田教諭はあごに手をあてながら言った。
「いつも思うんだが、平野の句には季語がないね」
「う……」
「俳句にはかならず季節をあらわす言葉を入れなければならない。分かってるだろう?」
「はい」菜々はうなずいたが、すぐに言い返した。
「でも三田先生、それって難しいです。五・七・五の十七文字しか使えませんから、どうしても入らないんですよ」
「後から季語をつけ足すのではなくて、まず季語を決めてから句を作るように心がけてはどうかね? 平野は自分の言いたいことを句に反映しようとする気持ちが強すぎるんだと思うよ。もっと言葉を選んだ方がいいね」
「自分の気持ちを抑えろっていうんですか? それは無理ですよ」
そう言うと菜々はすねたように頬をふくらませた。そんな彼女の子供っぽい表情がおかしかったのだろう、三田は微笑を浮かべた。
「伝えたいことをそのままストレートに詠もうとせずに、季語に託すという手法があるよ。たとえばさっきの句でいえば、〈君恋し されども君は 渡り鳥〉と片思いを暗示する言葉に置きかえるんだ」
「へえ」菜々は感心して目を見開いた。「なるほど」
二人は空き教室で話をしていた。ふだんは使われていないが、放課後は短歌・俳句部の部室として部活動が行なわれていた。部活とはいっても週に二回ほどで、生徒全員がなんらかのクラブに入ることを義務づけられているこの高校における建前上の受け皿のようなものだった。
とうぜん生徒は本気で短歌や俳句作りをしてはいなかったが、菜々はもともと国語や古典が好きだったこともあって熱心に取り組んでいた。
彼女の詠む俳句の多くは恋にまつわるものだった。想う相手は三田――だったらおもしろいのだが、あいにく三田は六十近いベテラン教師だった。
「俳句よりも短歌を作ったらどうかね。季語を入れる必要はないし、使える文字数も増えるから伝えたいことをありのまま歌にできるよ」
「うーん、そうなんですけどね」菜々は舌をちょろっと出して苦笑いを浮かべた。「私、短歌と相性が悪いみたいで。上の句はわりとサラッと出てくるんですけど、下の句が思い浮かばなくて。むりやり絞り出しても上の句とうまく結びつかないから、ちぐはぐな感じになっちゃうんですよ。それに私は俳句の短さが好きで、短いからこそシンプルでビシッとした強さがあると思うんですよ。キャッチフレーズみたいな」
「強さねえ」三田は分かったような分からないような顔をした。
そこへ別の生徒が「先生、私の句も見てください」と手を挙げたのでそちらへ向かい、しばらく指導にあたった。
「三田先生、また新しい句ができました」菜々がいきおいよく手を挙げた。
呼ばれたい いつかは君に 菜々ちゃんと
「これも季語がないね」
「季語は、ほら」菜々はにんまり笑った。「私の名前の〈菜々〉ですよ。菜の花畑は春の季語でしょう?」
「おいおい」
「こんな句も作りました」
ベゴニアも 恋の花咲く 花だもの
「はは」三田教諭は小さく笑った。
「ベゴニアは春の季語だね。花言葉はたしか――」
チャイムが鳴った。部活の時間も終わりだ。
「じゃあ先生、さよなら」菜々は他の女子生徒といっしょに帰っていった。
その背中を見送りながら三田はつくづく思った。あの子をあそこまで夢中にさせる男子生徒とはいったい誰なのだろう。
それにしても彼女が詠む句に季語はかならずしも要らないな。あの子がいま生きている季節はまさに青春なのだから。
(※ベゴニアの花言葉は「片思い」)