阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「李太郎」瀧なつ子
夫の実家から、瑞々しいすももが送られてきた。今まで、お米とか白菜とかはたくさんもらってきたけれど、すももをもらうのは初めてだった。
正直、食べ慣れない果物だった。子どものとき給食によく出た記憶がある。でも、皮はむきづらいし、皮ごと食べるのもなんだか渋くて嫌だった。
味もやたら酸っぱくて、種のまわりに果肉をたくさんつけたまま残してしまった記憶がある。
まあ、今はネットでいくらでもレシピが検索できるし、ジャムかなにかにしてもいいかもしれない。
「ああ、すももか。いい匂いだね。懐かしいな。むかし、給食のデザートでよく出たよ」
「へえ、あなたのところも出てたのね」
結婚十五年の夫は、同い年の四十二歳。子どもを諦めたのが、五年前。今はもう、友だちみたいな夫婦だ。夫婦生活が無くなって、二年くらい。もうそれでもいいかな、と思っているけど、こうやってレスになってからの月日を数えているところをみると、まだちょっと諦めきれていないのかなと思わなくもない。
「完熟してから食べてねって、お義母さんから電話をもらったけど」
「うん。でも、甘い香りがするし、ちょっと食べてみようよ」
夫がそう言うので、夕食のあとデザートに食べてみることにした。
「あら、皮のままでも美味しいのね。子どものときと、印象がちがうわ」
「そうかい。確かにこのすもも、すっごく甘いね。酸味もあるけど、ちょうどいい。新しい品種かな」
子どもがいたらよかったのに、という思いもある。でも、いないからこそ、こういうひとときはゆったり過ごせるとも感じている。
いつもと変わりない夕食がおわり、いつもと変わりないバスタイムがおわり、そしてそのあとはいつもどおりの就寝のはずだった。
「ねえ、ほんとうの桃太郎の話、知ってる?」
「え、なによ急に」
ベッドサイドの明りを消そうとすると、夫が話しかけてきた。
「ほんとはさ、あれ、桃から生まれたんじゃないらしいよ。おばあさんが拾ったのは、普通サイズの桃でさ、それ食べたら、おじいさんもおばあさんもピチピチに若返っちゃったんだって。そんで、できた子どもが桃太郎」
「えー、そうなの。それじゃ、桃太郎も人の子なのねえ。桃から生まれた桃太郎じゃないんだ」
なんでまた急にそんな話を、と思ったら、そっと夫が手を握ってきた。
久しぶりとはいえ、なんとまあ、色気のないお誘いだろう。
私も夫も若返ったわけではないけれど、その久しぶりの感覚は熱を帯びてゆっくりと身体を熟していった。
明かりを消すと、鼻腔の奥にのこっていたすももの香りが官能的の脳内に満ちた。
「ママー!」
薄暗くなり始めた時間、学童の玄関から娘がランドセルを揺らして走ってきた。
「おかえり、李子(りこ)」
「ただいまー」
手をつないで、家路につく。
私ももう、五十に手が届く。
まさかあの歳で自然に授かるとは、思っていなかった。
子育てに家事に仕事に、きつくないわけはないが、夫も同程度に家のことをしてくれるし、やれないことはない。
なにより、自分の子がこんなにかわいいなんて、知らなかった。想像以上だ。
李子が生まれる前も、幸せだったはずだが、今はそれ以上。つくづく、幸せには上限がないのだと感じる。
「ねえママ、今日、面白い宿題が出たよ」
「どんなの?」
「自分のお名前の由来を調べてくるっていう宿題。李子は、なんで李子なんだっけ?」
いつかはくると思っていた、この質問。
「李子の李は、すももって意味なの。ママもパパも、、すももの花が好きだから、李子にしたのよ」
「そっか。李子はすももっこなんだね」
嘘ではない。
あれから、私と夫はすももが好きになったのだから。
すももがくれた私と夫の宝物は、頬を赤く染めて笑っている。