阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「空をながめ屋」石黒廣美
ぼくの商売は、空をながめることです。いわゆる“空をながめ屋”なのです。
ぼくのところには、いろいろ悩みをもっている人たちが、ひっきりなしにやってきます。ぼくは、1日24時間、空をながめています。そして、悩みを抱えている人たちも、ぼくのとなりで、体育座りになって、一緒に空をながめます。ぼくは、その人たちに、あえて悩みをききません。助言もしません。ただただ、となりにいて、一緒に空をながめる“空をながめ屋”なのです。
ある日、一人の小学生の子が、やってきました。日中の時間帯です。受付の助手が、いいました。
「ここに、くるのは、はじめてですか?」
小学生の子は、
「うん。はじめてだよ。父さん、母さんにも、いえなくて、兄ちゃん、姉ちゃんにも、いえなくて、わたし、ここにきたの」
「そうですか。では、ここで座ってまっていてください。」
受付の助手は、そういうと、女の子を、空をながめることができる部屋に案内し、受付にもどりました。女の子は、キョロキョロして、どうしようかと思いながら、まわりをみわたしていました。そして、しばらくすると、だんだん落ち着いてきて、チュンチュンと小鳥のなき声がする空を見ました。じーっと見ていると、吸いこまれていきそうな空。女の子は、ただただ空を見ていました。しばらくして、ぼくは、女の子のとなりに、体育座りで、すわりました。女の子に、何もききません。女の子も、私に、何もいいません。ただただ、一緒に空をながめているのでした。
空をながめていると、青い空、白い雲だけでなく、いろいろな音が、きこえてきました。
「ミーンミーン」
「チュンチュンチュン」
「チリンチリン」
そして、
「キャーキャーキャー」
という、近くのプールで、泳いでいる子たちの楽しそうな声。女の子は、その声をきいたとたん、ツーッと一すじの涙が、ほほにながれていました。ぼくは、何もきかず、何もせず、ただ体育座りで、空をながめるだけでした。
何時間たったのでしょうか。いつのまにやら、近くのプールの声もシーンとしずまりかえり、女の子も、空をながめながら、気持ちも落ち着いていました。そして、ぼくに、前向きな顔になり、
「わたし、明日から、学校にいこうかなぁ。」
なんて、手をふりました。受付の助手にも、ちゃんとあいさつをして、帰っていきました。ぼくは、
「よかった」
と、一言つぶやき、空をながめました。
だんだん、くらくなり、夜になってきました。もう、空は、まっくらです。受付の助手は、「ハァーッ」と、大あくびをしていました。その時、いきおいよくかけてくる、スーツ姿のおじさんが、やってきました。受付の助手は、同じことをききます。
「ここに、くるのは、はじめてですか?」
「いいえ、いいえ、5回目ですよ。受付さん。おぼえてくださいよ、いいかげん。」
「…………」
受付の助手は、顔色ひとつかえず、
「こちらえ、どうぞ」
と、スーツ姿のおじさんを、空がみえる部屋へ案内するのでした。
スーツ姿のおじさんは、なれたもので、スーッと体育座りをして、空を眺めていました。もう、まっくらなくらやみに包まれています。きこえてくる音は、
「リンリンリンリン」
虫の声。ぼくは、となりで、体育座りをしました。スーツ姿のおじさんは、ぼくに気付き、
「ねえ、先生。生きていると、いいこともあるもんですね」
「…………」
「やっと、再就職先が、決まりました。仕事だけが、生きがいだったのに、こんなことになってしまってね。空をながめていたら、まっくらなくらやみから、明けるときの美しさ……、それを見たとき、ぼくは、まだ、がんばれるんじゃないか……、と思ってね。ありがとうございました。」
「…………。」
ぼくは、何もいいません。ただ、一緒に、空をながめただけなのです。スーツ姿のおじさんは、そのことばをいうと、空にむかって、
「ありがとう」
と、いい、受付の助手にも、お礼を伝え、足取り軽く帰っていきました。
ぼくのことばは、役に立たないけれど、空をながめていると、いろいろなことを教えてくれるのです。ぼくの商売は、“空をながめ屋”なのです。