公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「圭太の酒」鎌田伸弘

タグ
作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第43回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「圭太の酒」鎌田伸弘

谷口圭太は酒が一滴も飲めなかった。

親元を離れ、関西の大学に通っているころ、

なんどか飲めるようになろうと試してみたのだが、体質に合わないのか、ビールでもワインでも、一口飲んだだけで頭はふらふら、胸はどきどき、そのあと頭はズキズキ、胸はムカムカしてしまうのだった。

カクテルやサワーなどといった、比較的飲みやすいものでも同じだったから、自分はアルコールのまったく受けつけない体なんだと、それ以来あきらめるようになった。

しかし当時の大学生はよく酒を飲んだ。圭太の大学でも――特に芸術系大学の演劇科ということもあってか――毎晩のように飲み会が開かれた。みな大いに飲んで食い、芸術や文学談議に花を咲かせた。飲めない圭太もさすがに付き合わないわけにはいかず、毎回ウーロン茶で会に加わっていたが、やはりどこか味気なく、疎外感のようなものがいつもつきまとった。だから酒への嫌悪も強まっていったのも当然といえば当然のことだった。

そんなふうにして四年が過ぎた。演劇やテレビの業界に就職する者もいたし、自分たちで劇団を旗揚げする者もいた。しかし圭太はその道には進まなかった。その理由をすべて酒のせいにすることは無論できないが、あるいは飲めていたら気後れすることもなく、仲間の中心にいられる存在として目され、演劇に対する情熱も持ち続けることができたかもしれなかったと、かれは考えるのだった。いずれにしろそれは挫折といってよかった。

だが、そうかといって圭太は就職もしなかった。圭太の実家はかれの祖父の時代から商売を営んでいた。だからかれが演劇の道を選ばないというと、両親は当然のように長男のかれに家業を継ぐようにいった。

しかし圭太はどうしてもそれを受け入れることができなかった。なぜなら谷口家の家業は酒屋だからであった。

当然圭太からすれば、一滴も飲めないのになぜ酒屋をやらなければならないかという思いがつよかった。眼がいいのにメガネ屋をやるようなものである。先代の祖父も父も、酒には目がなかった。母はそれほど飲むほうではないが、まあイケる口らしい。そして最近では二つうえの姉も、勤め先の同僚と飲みに行ったり、また彼氏と地酒の旨い店に行ったりしては、父をつかまえてウンチクを傾けているようだ。家族のみなが、そのように酒との相性がいいのにどうして自分だけが、と圭太はおもう。

だが、ともかくも家を継ぐ決心をして、圭太は実家に戻ってきたのだった。

谷口酒店は東京の下町にあった。駅にちかく、大通りに面していて、通りをはさんで向かいにはY大学がある。大学には夜間学生もいるからということで、父の代から夜は十時まで店を開けるようになった。近ごろ台頭してきたコンビニエンス・ストアに対抗する気持ちもあったに違いない。これまで夜の店番は母と父とでやっていたのだが、圭太が戻ってきてからは、もっぱらかれの役目となった。

店に出るようになって数日がたったある夜、圭太が閉店の準備におもてに出ると、四、五人の若者が、店の脇に空のビールケースを積み上げたスペースに、いくつかケースを裏返して椅子とテーブルにして、缶ビールで酒盛りをしているのに気が付いた。よくみれば、みんなさっき店内で圭太から缶ビールとつまみを買っていった者たちだった。みなジャージ姿で、きっとY大学の体育会系サークルの学生だろう。店の敷地で勝手なことをと、注意しようとすると、店の中から、母が圭太を呼ぶ声が聞こえた。とりあえず店に戻ると、風呂が空いたから入れと母はいった。

「いや、それよりさ、おもてでY大の連中がウチで買ったビールで宴会やってるけど、どうしよう?」

すると母は「ああ、劇団の学生さんでしょ」と事もなげにいった。「いいのよ、あの子たちは」

「劇団?」

「本当は居酒屋に行きたいけど、貧乏劇団だからって、はじめは通りに立ったまま飲んでたから、そこのケース使っていいよっていったんだよ。真面目でいい子たちだからさ。それでもよその劇団の公演があると差し入れだって律儀に一升瓶買っていくんだよ。お金ないんだろうにね」そういって母はわらい「お父さんあがったから、お風呂入っちゃいなさい。あとはお母さんやっとくから」といった。

「あ、じゃあちょっと、やりかけだから、それだけ」といって圭太はおもてにまわった。

劇団か――。あらためて学生たちに気づかれないようにそっと見る。みんなじつに楽しそうだ。そうまでして飲みたいのか、酒ってやつは、と心のなかでつぶやいて、自分の学生のころを思い出した。そして当時はなかったうらやましい気持ちが生まれてきているのを感じるのだった。