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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「大人の挨拶」石黒みなみ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第42回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「大人の挨拶」石黒みなみ

「子どものころ、祖母と出かけるのが好きだった。祖母の家は大阪といっても京都に近いところだったので、先祖代々のお墓は京都のお寺にあった。祖母がお墓参りをするときによく一緒についていった。小学生の私はお墓参りにはあまり興味はなかったが、そのあと街中でのぞくきれいな扇子や匂い袋のお店でちょっとしたものを買ってもらったり、ちまちまと盛り付けされたきれいなお弁当や甘いものを食べさせてもらったりするのは楽しみだったのだ。

あるとき、いつものようにお寺参りに行った帰りのことである。バスを待っていると、向こうからおばあさんが歩いてきた。頭は真っ白だが、きれいな薄紫色の着物を着た背筋はしゃんとのびている。近くにくるとおばあさんは

「どこへお行きえ?」

と聞いた。きれいな声だった。祖母が

「ええ、ちょっとそこまで」

と答えると、おばあさんは軽くうなずき、私たちはそのまますれちがった。こんなところで知り合いに出会ったのか、と驚いて

「誰やったん?」

と聞くと祖母は

「知らん人よ」

というではないか。

「知らん人にどこ行くか聞かれたん」

「大人の挨拶やよ」

祖母はにっこり笑って言った。大人の挨拶ってなんやろう、と思っているうちにバスが来て、私たちは乗り込み、そのあと食べさせてもらえるおいしいもののことで頭がいっぱいになり、詳しく聞くのを忘れてしまった。

元気だった祖母はその一週間後に突然倒れて亡くなり、大人の挨拶については結局聞かずじまいだった。

私もすっかり年をとり、孫のいる年になった。八歳になる孫娘が近くに住んでいるので、時々京都のお墓参りをするのにつれていく。昔の私と同じで、お墓詣りには興味がないが、そのあと京都の街を一緒に歩くのは嬉しいようだ。こちらも今度はどこに連れて行ってやろう、と考えるのもささやかな楽しみだ。

ある春の日である。孫が遊びに来たので、京都に行く? と聞くといくいくといってついてきた。いつものように墓参りをすませてバスを待っていると、向こうからきれいな老婦人が歩いてきた。私よりはるかに年上だろうが、染めていない真っ白な髪をきれいにまとめ、上品な薄紫色の着物を着ている。何か見覚えのある光景だな、と思っていると老婦人は近づいてきて、

「どこへお行きえ?」

と聞いた。老人とは思えない澄んではりのある声だった。ああ、そうだった、と思い出しながら私は

「ええ、ちょっとそこまで」

と答えた。老婦人は満足そうに微笑み、軽くうなずいてそのまま歩き去った。

「ねえねえ」

孫が私の袖口をひっぱった。

「誰やったん」

「知らん人よ」

「知らん人にどこ行くか聞かれたん?」

「大人の挨拶やよ」

不思議そうな顔の孫娘に私はにっこり笑って見せた。ふうん、と孫が納得のいかないまま返事をしたところでバスが来た。乗り込むなり孫は

「おばあちゃん、今日は何食べさしてくれるん?」

と聞いてきた。

「さあ、何にしようか」

このあいだは私の好みで海老芋と棒鱈を炊いた京名物のいもぼうだったが、やはり子どもには向かなかったようだ。少し北のほうに出れば、きれいな手毬寿司をお手ごろな値段で出してくれる店がある。そこにしようか、そのあとはにぎやかな新京極に戻ってかわいらしいお土産を探す、と考えているうちに老婦人のことは忘れてしまった。

孫を娘の家に送り届けてから帰宅すると、体がだるいことに気がついた。一緒に出かけるのは楽しみでもあるが、疲れることでもある。夫の帰宅までには時間がある。ちょっと休んでいよう、と横になったとたん目の前が真っ暗になった。

しばらくするとあたりが白々と明るくなり、私は一本道に立っていた。前方で誰かが手招きをしている。昼間に会った薄紫の着物の老婦人だった。知らない人だったはずだが、と思っているとその後ろに母と祖母の姿が見えた。

「ちゃんと挨拶できた?」

「待ってたんよ」

二人が口々に言った。そうか、そういうことだったのか、と私は二人の方に向かってゆっくり歩き出した。