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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「あとで」林慶次

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作文・エッセイ
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第42回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「あとで」林慶次

突然だが、オレは死んだ。

理由はどうでもいい。とにかく死んじまった。少し前の話だ。

人は死ぬと、あの世とやらに行くらしいと思ってた。此岸と彼岸、カロン、イシりス、地獄に門にはケルベロス、冥府殿の主の閻魔大王は地蔵菩薩でもある。東洋西洋あっちこっちでいろんなことを言っているが、たいがい天国と地獄があることになってる。生きてる間にいいことをした人は天国に、悪いことをした人は地獄に行くんだそうだ。

ある人が言っていたのには、天国と地獄はまったく同じなんだそうだ。

例えば、みんなでまるいテーブルをかこんで食事をする。出てくるものは、どちらも同じごちそうだ。そして、同じお箸が用意される。これがクセモノだ。このお箸はとても長い。なにせ、その丸いテーブルの直径くらいあるんだから。普通に持てば、お箸の先を口に入れることができない。先の方を持てば、上の方が重たくて持っていられない。地獄では、だから誰も食事をすることができないんだそうだ。ところが天国では、同じお箸を使って、つまんだご馳走を、テーブルの向かいの人に食べさせてあげるんだって。お互いに食べさせてあげれば、みんなおなかいっぱい食べることができて、幸せと言うわけだ。なるほどね。地獄でも誰か一人がそれを教えてあげるとか、率先して誰かに食べさせてあげるとかすればいいのに。そうすればいくら生きてる間に悪いことをした人だからって、そんないい手があるんなら、しないはずもないだろうに。きっと、そうならないように神さまがいじわるをしてるんだろうな。

天国に行くのを決めるには、閻魔大王とか御地蔵様とかの裁判を受けなければならないと聞いていたので、どこに裁判所があるのかな?と探そうとしたけど、見つからなかった。そんなところはなかったんだ。ということは天国も地獄も、本当はないのかな?

ただ、そこには死後の世界があった。つまり、ここさ。みんな、一応名前があった方がいいっていうんで、魂の世界って呼んでる。それって、なんだ?死んだ人はみぃんな、ここに集まっていたんだ。アダムとイブから渥美清まで、人類が始まって以来のみんなが。いったいどれくらいいるんだ?ほんとにみんないるんなら、数えられるはずもない。

しかし、その割には、結構空いていた。実は思ったほど死んだ人がここにいるわけではなかったんだ。

オレは、そこで歴史上の人物に会うことができた。聖徳太子だの、坂本龍馬だの、織田信長だの、チョー有名人がひしめきあっていたのだ。というか、有名人しかいないといってもよかった。

それには一つのからくりがあった。それを教えてくれたのは、オレよりちょっと早く死んだ人だった。ちょっと早くこっちにきたので、やっぱりそれよりちょっと早くきた人から聞いたんだそうだ・・・ややこしいな。

その人は、重々しくこう言ったんだ。

「人の命は肉体で終わるのではない」って。

かいつまんで言えば、こういうこと。

地上に残った人たちの、記憶の中にあるかぎり、魂はいつまでの存在するのだ、っていうんだな。だれか一人でもその人のことを憶えている人や、考えてくれる人がいれば、その魂はここにありつづける。

だいたいは、孫かひ孫くらいがこっちに来るタイミングで、入れ替わりに消えていくんだそうだ。

だからだったんだな。有名人ほど、ずっと居続けていることになるってわけだ。イエスさまやお釈迦さんなんて、体から光なんか出したりして、存在感バリバリだもんな。

ところで歴史がすぎていくと、覚えられ方も不確かになっていくものだから、水戸黄門なんかはへんに好々爺にされてしまって、ずっと怒ってる。「オレは若い頃はワルだったんだ」って。

ところでオレは・・・きたばかりでなんだけど、すぐ消えていくんだ。生きてる間も、天涯孤独ってやつで、憶えてる人といったら、葬式をしてくれた葬儀屋さんくらいだ。その人たちだって、仕事が終わればオレのことなんか忘れるだろう。

だから、今きたばかりのキミに、とりいそぎ、オレが聞いた話を説明したってわけさ。今度はキミが次にきた人に説明してやってくれ。

それにして、だれにも憶えられていないって、けっこうキツいね。キミは、友だち多かったほう?