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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「いわゆる手探りの午後」星清彦

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第40回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「いわゆる手探りの午後」星清彦

ずっと仕事人間だった。バブル期には毎日が午前様で、土日は接待のゴルフ三昧。それでもまだ若かったので、体力は余っていたし、何より業績が右肩上がりの連続で、やりがいと誇りを感じていた。その後会社の業績はご多分に漏れず沈滞したが、それでもどうにか定年まではもってくれた。つまり私は退職の日を迎えたのである。

生活のリズムはその日を限りに、一変してしまった。朝になってもあの満員の電車に乗ることはない。私を散々縛り付けてきたネクタイも、今やだらしなく洋服箪笥にぶら下がり、「用無し」とばかりに下を出している。まだ未練があるのならば、再雇用の制度を使って働けばよいのだろうが、仕事人間にありがちな「燃え尽き症候群」なのだろうか、もう働くつもりはない。懐かしくはあるのだが、またあの世界に戻るつもりはないのだ。仕事中は何かと不自由である。それが一度今のような自由を手にしてしまうと、それでいいのならば、その方がいいのである。 幸い派手な生活をしなければ、退職金で年金受給の年令までは暮らせそうだ。だが何もしなければあっという間に、萎びてしまう恐怖もある。ギャップがあまりにも大きすぎるのだ。何もしないことは「悪」だったのだから。

そこで私は趣味を持つことにした。これならば何をやろうが 主導権はこちらにある。 好きなことを選択できるのだ。

ある日の市の広報に、「同好の人、募集」という欄があるのを見つけた。定年後の趣味と言えば「俳句」が定番である。私は以前俳句を趣味に持っているという人に、

「良い趣味をお持ちですね」

と声を掛けたことがあった。それは正直な気持ちからだった。 月に一度か二度、心落ち着かせて、花鳥風月を読む。渋い。 私は勇んで例会に出席したが、席に着くなり驚かされた。 皆、八十歳以上かと思われる人たちばかり。これでは定年後とはいえ、あっという間に老け込んでしまいそうである。一足飛びにここまでの心境にはなれない。俳句は諦めた。

次に目に付いたのが「爆釣クラブ」である。釣りはやったことがないが、海に出て良い空気を腹一杯吸って、魚と格闘するなど男のロマンである。私は早速道具一式を揃え、仲間に入れて貰うと、釣り船に同伴した。だがさっぱり釣れないばかりでなく、隣の人と釣り糸はからむは、酷い船酔いで腹一杯戻してしまうはという体たらくである。そう言えばバスにさえ酔ってしまうのをすっかり忘れていた。 結局 道具一式は物置の肥やしになった。

馴れないことを急にやろうとするからだ。じゃあ昔取った何とかでゴルフでもやろうか。だがゴルフは金がかかる上に今度は自腹である。しかも一緒に回って貰う人を捜すとなると、大概仕事関係だった人たちばかりで、「よいしょゴルフ」の続きはご免被りたい。

結局どうやって自由な時間を過ごせばよいのだろう。自由とは不自由であった。多分それから暫くの間私は「灰」になっていたのだろう。何をやるにも億劫で、何をやる気も起こらない。 人生における不自由は、生きる指針でもあったのだ。

その「灰人」になってしまった私が、あるテレビ番組を観たことをきっかけに、再び動き出したのである。それは「盆栽」について紹介したものだった。定年後の趣味のもう一方の定番は、何と言っても「盆栽」である。しかもこれは家で一人で楽しむことができる。どうしてこれに気付かなかったのだろう。直ぐに盆栽関係の本を買い漁り、そして梅の花の咲く小鉢を手に入れた。 初心者であるから教本の指導に素直に従うしかない。「初心者五点グッズ」なる物も手に入れた。 鉢は枝や葉

整えるし、ピンセットは枝葉の整理の他に草を抜くのに使用するのだった。

暫く教本どおりに注意深く手入れを始めると、これが何とも可愛いのである。愛おしくて仕方がない。盆栽などの何処が面白いのだろうと思っていたのだが、その人たちの気持ちが今なら良く解るのだった。そして全くの我流でも風流ぶって鋏を入れたくなる。「ここはもう少し切った方がいいだろう」とか、「肥料は多めにあげた方が喜ぶだろう」とか、まるで「生物」と関わっているような感覚なのだ。ところが我流が行き過ぎ、はっと気が付いた時には殆ど枝は無くなっていた。何もしないのは「悪」であった習慣が、まだ身に付いていて離れなかった為か。 私はがっかりして、せめて暖めてあげようと家の中に引き取った。 リビングのテーブルの端の方には、何とも寒そうで、貧相な梅小鉢が置かれた。

ところがそれから数日後、驚くべきことが起きたのだ。家人がいる間はストーブを点けていたためか、まだ二月になったばかりだというのに、心細い枝の先にたった一輪、小さな薄桃色の花が咲いているのに気が付いたのだ。その何と狂おしいまでの愛らしさよ。私はおおいに満足した。