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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「お盆の客」石黒みなみ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第40回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「お盆の客」石黒みなみ

「浩太、あんたが一番暇でしょ」

母さんのその一言で俺だけがじいちゃんちに行くことになった。父さんも母さんもお盆は仕事だ。二つ下の千佳は高校受験に向けて、夏休み中塾に通うらしい。俺なんか何の役にも立ちそうにはないのだが、とりあえず一日か二日、顔を見せてくればいいようだ。

じいちゃんちは小さな港町にある。ばあちゃんが三年前に亡くなってから、八十歳のじいちゃんは一人で暮らしているのだが、ちっともしょぼくれたところはない。毎朝、公園でラジオ体操をしてからあたりを歩く。元漁師なので、魚市場で魚を買ってきてさばき、刺身やあら煮を作る。一応膝が痛いらしいので近くの病院に行ってリハビリをする。午後は昼寝、夕方に「暴れん坊将軍」の再放送を見て「すっきりするのう」と言い、近くのスーパー銭湯に行く。そこにはフロ友がたくさんいるらしい。帰ってくると、缶ビールを開けて魚料理を食べ、七時には布団に入る。俺が行ってもそのペースは崩れない。

「じゃあ、行ってくるわ」

お前どうするとも聞かず、じいちゃんは風呂セットを持って出かけてしまった。まあ、千佳とちがって俺はじいちゃんに話しかけたりはしないから、一緒にいてもしかたないのかもしれない。一人でぼんやりしていると、玄関の引き戸がガラガラと開く音がした。

出てみると、知らない小柄なじいさんが立っていた。

「亮ちゃん、いるかな」

「風呂に行ったんですけど」

「ありゃりゃ」

じいさんは禿げ上がった額をぴしゃりと叩いてから、俺の顔をしげしげと見た。

「お孫さんかな」

俺はうなずいた。

「ちいと待たしてもらおうかな」

じいさんは水沼学、と名乗った。その名前には聞きおぼえがあった。

「あ、ひょっとして、まなちゃんですか」

「そうそう、わし、まなちゃん」

穏やかな感じのじいさんは指で自分の顔をさし、にこにこ笑った。

「亮ちゃんにはな、世話になった」

子どもの時、ひ弱だったまなちゃんはよくいじめられたらしい。

「亮ちゃんがいじめっ子をやっつけてくれてな。それからずっと仲良し」

まなちゃんは茶色い紙袋を差し出した。

「若い人が来とられると思うて買うてきた。こんなもんが流行っとるらしい」

ロールパンが三つ入っていた。

「塩パン、言うらしいの。漁師町で塩気のあるパンがほしいと若い衆が注文つけて作り始めたらしいが、全国に広まったとな。みんな朝から並びよる。食べなはらんか」

「いえ、じいちゃんが帰ってくるの、待ちます」

まなちゃんは、そうか、と言って、じいちゃんの思い出話を始めた。病院の受付にいるばあちゃんを気に入って、健康そのもののくせに仮病を使って通い詰めたとか、トロール船に乗って密漁まがいで儲けてブタ箱に何度も入ったが、うちの母さんが生まれてから地道に稼ぐようになったとか。知らないことばかりだった。

「なかなか面白い人生やったな、亮ちゃんも」

いや、まだ終わってませんから、と言いかけて、じいちゃんの帰りが遅いことに気がついた。嫌な予感がした。

「ちょっと見てきます」

急いでスーパー銭湯に行くと、じいちゃんは青い顔をして休憩室に寝かされていた。お盆休みのせいか、いつものようにいっせいではなく、五月雨式にやってきたフロ友たちといちいちしゃべっていたらつい長湯になって、気分が悪くなったらしい。フロ友たちが若い人やスタッフも呼び集めてみんなで介抱してくれたとのことだ。大したことがなくてよかったとほっとした。

帰ってくると、もうまなちゃんはいなかった。上がり框には塩パンがおいたままだ。

「え? まなちゃんが来た?」

じいちゃんは目を丸くした。

「五年前に死んどる。淋しいなった。お前にもその話、したはずじゃが」

それで聞いたことがあったのだ。

「迎えにきたかもしれんが、そうはいかん。浩太、お前もじゃろう。しょうもないバイクの事故で先に逝きよって。わしは千佳が嫁に行くまで頑張るからな」

いや、迎えにきたんじゃないよ、ただ母さんに頼まれて、と言いかけたが、じいちゃんはもう缶ビール片手にテレビの歌謡ショーにくぎ付けだ。仕方なく、じいちゃんには見えていないらしい塩パンをかじってみた。しょっぱくて、しんみりとうまかった。そうだ、まなちゃんと一緒に食べよう。俺はパンの袋を持って、窓から空に向かって飛び出した。