阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「義母の教え」風祭真衣
「これ、きつくて……。ちょっと引っ張たら、電線してアカンかったわ」
義母に返された黒いストッキングには、穴があいていた。
「そうでしたか。すみません」と私は詫びた。
義母が部屋から出て行くと、私の目から涙があふれた。
夫の祖母が亡くなった時の話だ。義母が黒ストッキングを準備し忘れたというので、私が予備に持っていたストッキングを使ってもらったのだ。
義母は、自分が通夜のあいだ着用したストッキングに対する礼を私に言いたくなかったのだろう。用を足さないものであったことだけ、私に告げた。
黒ストッキングは、上部に穴があいているのがよく見えるように、私の足元に投げ返された。
結婚するまで、夫の実家が古い城下町にある旧家だと知らずにいた私は、義理の両親の自宅近くに新居が用意されることに反対しなかった。
新生活を始めてすぐに、私は、その選択を後悔したが遅かった。
暇があれば、義母は私のところへ来て、暮らしぶりに口をだす人だったのだ。
嫁というものは、朝は午前三時に起きる。最後の風呂に入って、短めに済ます。寝る前には戸締り火の用心を確認して、必ず最後に就寝すること。
その他、洗濯物の干す向きから近所を歩くときは化粧をするな……等、聞くだけでも本当はうんざりしたが、若かった私は、素直に義母に従うことで、幸せが続くならと歯を食いしばって努力した。
夫は優しく穏かな人柄で、私より一回り年上だった。自営業だが、商売上手で金銭面に余裕があり、日々の生活の心配は全くなかった。
「口は悪いが、悪気はないんだ。君のことを実の娘のように思っているんだよ」
と義母をかばいつつも、義母に隠れて私に新しい服を買ってくれたり、あまり裕福とは言えない私の実家に資金援助や物品を送ってくれる気遣いをしてくれた。
身に過ぎるほどの夫のおもいやりがあっても、私の新婚生活は辛いものであった。
特に、月命日・葬式・法事等、頻繁にある仏事で夫の実家に行かねばならぬ時は、
修行僧になったつもりで強い意志を持たねば、あまりの理不尽さに、私は気がおかしくなりそうだった。
独特な読経に加えて、その地域の決まり事、古い習わし……等、無意味に思われる多くの守り事を覚え、次世代に伝えよと言う義母に憤りさえ感じる自分を押さえつけるには、仏心を習得する場なのだと言い聞かせるより他なかった。
嫁いで間もない私に、通夜で訪問客に振る舞う郷土料理を急に作ってみろと言ったり、葬儀の途中で私の持つ念珠の石の色が良くないと怒ったり、四十九日の間は肉魚を一切食してはならないと禁じてみたり……慣例なのか思いつきなのかわからない無理難題を言っては、義母は私を翻弄した。
振り回されながらも、私は黒いエプロンのポケットに小さなノートとペンをしのばせ、義母の言葉を書き止めたり、菩提寺のご住職や同じ町内のお嫁さんたちに、しきたりを教わることでなんとか乗り越えた。
私が嫁いでから三年目の春、義母は急死した。
旅行先での不運な事故であった。
いかんともしがたく遺体は、現地で荼毘に付した。
義母から教わった通夜や葬式を、義母のためにすることが出来ずに終わったことを心苦しく思っていた私は、義母の四十九日の納骨の時だけは、義母に言われたとおりに、弔って差し上げようと白いさらし布で納骨袋を手作りして用意した。
寺での法要が終わり、裏手にある墓地に親戚たちと向かった。
古い墓石が並ぶ墓所は、昔の土葬の名残で中央に棺を仮置きする東屋がある。
そこで、骨壺から納骨袋に遺骨を移して納骨するのだと義母は話していた。
東屋に入った喪主の義父に、納骨袋を渡そうとすると、
「お母さんは、あんたの袋じゃあ心配だと、自分で前もって用意しとったんよ」
と別の袋を見せられた。義母は、生前から「戒名もいただいてあるし、永代供養も済んでいる」と話していたが、納骨袋まで用意していたとは、驚いた。
義母が用意した袋は、既製品で、この地域のいわれを守った金物を使わずに作成されていた。金物のハサミや針を使わずに作るので、手でさらしを裂き、接着剤や糊で張り合わすのだ。
金物は縁起が悪いらしい。私は用意してきた手縫いの袋を黒いバッグにしまった。
親戚が見守る中、義父と夫が慣れぬ手で、遺骨を袋に移していった。
何人かの男が墓石を動かし、義母のはいる入口が、石の下から現れた。
義父が、東屋から遺骨を運ぶ時、その手元からコロンと私の足元に白い小さな塊が転がり落ちた。果たして義母の遺骨のかけらであった。納骨袋の角の糊がとれて穴があいたのだ。
私は、とっさに、そのかけらを指でつまんで、義父が義母の遺骨袋を入れた四角い黒い穴に、さりげなく落とした。
多分、誰にも見られていないだろう。
義母が、最後まで私を叱りにきたようで、すこし可笑しかった。
ふっと、ご住職と目が合った。静かにうなずかれたようであった。
私は、だいぶ慣れてきた読経をしながら、義母の冥福を心から祈った。