阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「鮎の神さま」ぼにぃぽりぃ
鮎は塩焼きに限る。
ぼくは鮎料理屋の前にある流れで泳ぐ鮎をスケッチしているうちに、無性にお腹がすいてきて、どうしても鮎の塩焼きを食べたくなった。
「遠火の強火……」と独りごちると、隣に座っているタカヲがスケッチブックを閉じてぼくを見つめ、「うちに七輪がある」とつぶやいた。
三時間目の、美術の課外授業である。
高校生の男子はすぐに腹が減る。
ぼくたちは店先に飼われた鮎を一匹ずつ掴むと、びちびち暴れるそいつをめいめいの画材入れに押しこめて、何食わぬ顔をしてそこを立ち去った。
タカヲの家に行き、ぐったりとした鮎の口に割り箸を刺しこんで、肛門にかけて波打つようにしならせ貫き、粗塩でひれに化粧塩をする。
ぼくが二匹の鮎を準備している間に、タカヲが七輪に火を起こす。
ほんとうはもっと遠火がいいのだが、待ちきれずにぼくらは割り箸の鮎をじりじりと炭火に近づける。ぱちぱちといい音と匂いをたてはじめると、ますます数分が待ち遠しい。
「いい感じの焦げ目がついてきたが、もう食えるんじゃないか」
「ちょっとだけ食べて調べてみよう」
などと言いあって、焼けたところから鮎はぼくらに食われていった。
一週間後の美術の時間である。
「先週スケッチしたものに色をつけて提出してください」
ぼくは活き活きと泳ぐ鮎の姿をスケッチしていた。そこに、てらてらとした鈍色と金色、少し桃色で化粧をする、はずだった。
気づくとひれは白く塩をまとい、背のあたりはこんがりまだらに焦げている。体を波打たせて泳ぐ口先はぽっかりあいて、目はうつろに白く濁っている。筆に黄土色を含ませて、口から伸びる割り箸まで描こうとしている自分に気づいてはっとする。
もしやとタカヲをふり返ってみると、青い顔で筆先を見つめ、固まっている。ようやくこちらへ向けた目に、「塩焼きか」と唇の動きで尋ねると、「うん。うまそうだ」と口唇で答え、眉をひそめてまた紙を見る。
何度試みても鮎は焼かれてしまうので、そのまま塩焼きを提出し、これは鮎の祟りかもしれぬと二人、教室の隅でおののいた。
鮎の神さまがあらわれたのは、その日の夜のことである。
夢の中に、鮎があらわれた。
鮎としてはだいぶ大きい、赤ん坊ほどもあるやつが目の前に浮いていて、「わたしはおまえに食べられた鮎であるが、どうやら鮎の神さまになったらしい」と困惑したもようで語りかけた。
話すということに慣れていないらしく、次々と思いついた先からあふれるように言葉を伝えてくるので何をしゃべっているのか全くわかりづらかったのだが、要約するとこういうことを言っていた。
「鮎というものは特に思考をしておらず(自分もそうだったのだが)、ただ淡々と生き、死ぬと消滅してしまうものらしい。よって神という概念はなく、神になってはみたものの、誰もあがめてはくれないし、捧げものもしてくれない。寄っていってもササッと逃げられるばかりである。つまらないので、人間の神さまになりたいんだけれど、いったいどうしたらなれるだろうか」
苦情のなかに、『貢物』『捧げもの』『お供え』という文言がやたらと多い。どんなものを供えられたいのか尋ねると、「えっと、小さい虫とか」と恥じらう。
質問されたところで、神種変更の方法などわからない。
その旨を伝えると、「願いを聞いてもらうお礼に昨日、鮎の塩焼きを授けたのに。友達の分もサービスしたのに。好物なんでしょ?」と憤慨する。どうやらあの絵のことらしい。
「聞き届けてくれないなら、この先ずっと鮎は塩焼きしか描けないように呪いをかけてやる」
褒美も罰も、同じである。
考えておく、と保留して、翌日タカヲに相談した。タカヲの夢には何もあらわれなかったということで、彼はひどく羨ましがった。
つまるところ、お供えさえあれば気が済むのではないか。お供えは絵でいいんじゃないか。との結論に達し、ぼくは鮎の餌になるような小さい虫を何匹か描いて、鴨居の上に貼った。
鮎の神さまの願いは叶ったのか叶わなかったのか。その日からまだ鮎の神さまは夢に出てきておらず、鮎の絵を描く機会もない。
ぼくとタカヲの描いた塩焼きの絵は、発想がのびやかで面白いし、なにより至極うまそうだ、と褒められた。