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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「鮎の髭」耳目

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第38回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「鮎の髭」耳目

鮎に髭なんかあっただろうか?  その古い友人からの手紙は意味不明な点が多かった。そもそも、紙がおかしい。ごわごわするというか、なんというか……。

差出人の名前もかろうじて読むことができた。

その古い友人は放浪癖があり、世界中のあちこちを旅していて、今どこにいるかよく分からない。ただ、時々、手紙だけが届くのだ。私と彼はそれだけの関係ではあるが、時折届く、未知の世界からの手紙は退屈な私の人生を明るくしてくれるのだ。

もっとも、その見返りとして少々の金を送ることになるのだが。ようするに、彼からの手紙はたいてい金の無心である。金を貸してくれないか、送ってくれないか、という話なのだ。

彼は奇妙な国の奇妙な話を手紙に書き連ね、少々の金をねだる。私はそれに対して少々の金を送ってやる、そういう関係である。

こんなことが続けられたのも、私が週刊雑誌の編集者であって、常に記事のネタに困っているからである。彼に用立ててやっている金は雑誌の経費で落とせるときもあるので、割と気楽に送ってやれるのだ。

しかし、今回の手紙はおかしい。

途中で雨にでも降られたのだろう。水に濡れてから乾いた跡がある。それだけならともかく、水に濡れて溶けてしまっている部分がある。なんていい加減な紙だ。

もちろん書かれた文字もメチャクチャである。私宛なのだが、私の住所も一部が読めなくなっていた。しかし、優秀な日本の郵便局が一部を類推して私の所へ届けたのだ。

その昔『孫』と言う演歌で有名になった大泉逸郎宛のファンレターは『孫』とだけ書いてあれば届いたという。(今だとソフトバンクの孫社長の所にでも届くのだろうか)日本の郵便局はできる限り住所を推測して、宛先に届けるそうである。

そういうわけで、なんとか私の所に届いた手紙のような紙くず。封筒だと思われる物体を私は開けようとしたのだが……びりっと破れて、さらにメチャクチャになってしまったのだ。

中の紙も水に濡れて溶けてしまっていて、数枚の紙束が固まってしまっていたのだ。封筒を破ったところ、中の手紙も破れてしまった。

ばらばらになった紙に書かれた文字が、これもまた水で滲んでしまって判別ができない部分が多かった。

しかし、いくつか文字が読み取れた。

「鮎の髭」、「汽車で山道を越えた」、「挨拶、挨拶、とにかく挨拶」、「百万円左右の金を送ってくれまいか」等である。

おそらく最も重要な、彼が言いたかったことは「百万円」の金を送れということだろう。それにしても百万円「前後」ならともかく百万円「左右」とはなんだ?

しかし、それにしても百万円とは……いくらなんでも話のネタに払う額としては大きすぎる……私はさすがに今回は金を送らないことにした。

数日後のことである。テレビのクイズ番組を見ていたところ、

「中国語で『鮎』という漢字は別の魚を意味しますが、それはなんでしょう?」

というクイズが出題されていた。答えは『ナマズ』……そう、髭のある魚である。

私は古い友人からの手紙を取りだして、判別できる文字を中国語の辞書を片手に読み直した。

『汽車』は『自動車』の意味。

『手紙』は『トイレットペーパー』

『百万円左右』は『百万円前後』のこと。

まあ、同じ漢字文化であっても、中国と日本では意味が違うと言っても、ここまでは想像の範囲内であった。

しかし、これが一番驚いた。

『挨拶』は『拷問』の意味なのだ!

私は彼の身に起こったことを想像し、翌日百万円を作って、かろうじて読める銀行口座へ送金した。