阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「おみくじ」石黒みなみ
元旦に天神さんでひいたおみくじは大凶だった。「大凶」というその文字を見たとたんくらくらしてしまった。そばで夫の義彦はガッツポーズをしている。見ると「大吉」だった。その文字はすべて金色で「初めから終わりまですべてよし」とあった。五十歳で会社を辞めた義彦は起業したところなのである。
「大凶、逆に珍しいてええやないか」
ちょっと自分がよかったからって調子いいんだから、ひとのことだと思って。だいたい、義彦は楽天的なたちなのだ。会社も本当は辞めてほしくなかった。
「正月そうそう、そんな顔せんと。結んで帰ったらそれでよろし」
言われるままにすぐに近くの枝に結びに行った。一方義彦はせっかくやからな、とほくほく顔でおみくじをきれいに折り、長財布に入れた。
「ほんで、大凶って何があかんかったんや? 健康か? 金か?」
言われて気がついた。大凶の文字ばかり見ていてろくに中身は読んでいなかったのだ。
「まあ、この一年、万事に気いつけてすごしたらええってこっちゃ。それにしても大吉って縁起ええな。一緒におったらお前も大吉や。まあ、うまい寿司でも食いに行こうや」
大吉やと言って義彦はウニだのあわびだの大トロだのと、正月料金もおかまいなしでどんどん注文して食べた。値段も書いていないような店で、私は気が気ではない。まだビジネスがうまくいったわけでもなんでもない。その上、義彦の健康も心配である。以前に健康診断でひっかかったことがあるのだ。結局何もなかったのだが、サラリーマンをやめてしまったこれからは体が資本ではないか。結局私はお勘定を気にしながら、タマゴだとかアジだとか安そうなものばかり選んで食べることになってしまった。
そんな風に始まった一年だったが、私の心配をよそに義彦の仕事はうまくいった。順風満帆とはいえるだろうが、このご時世のこと、いつどんなことが起こるかわからない。なんといっても私が「大凶」である。気をつけるべきことを考えた。体は元気だ。もともと几帳面なほうで、何かをなくすとか、鍵の閉め忘れ等はしたことがない。それでも、そこが「大凶」かもしれないと念には念を入れるようにした。玄関を出てしばらく歩いてからやっぱり、と戸締りを確かめに戻って電車に乗り遅れたりもした。それでも大きな難を避けられているのではないかと思った。
特に何事もなく夏がすぎ秋になり、たまたま同窓会で検診が話題になった。五十を過ぎるとクラスに一人や二人、大きな病気をした人がいる。呑気な義彦でさえ、会社を辞めてしまってからは人間ドックに行っていた。結果は異常なしで「やっぱり大吉やな」と喜んでいたが、私の健康管理の結果だ。その私は検診など思いもよらなかったのである。
忘れていた「大凶」を思い出して慌てて市民検診を申し込んだ。しばらくして送られてきた結果は「要精検」であった。やっぱり来たか、と思ったが義彦に話すのはためらわれた。再検査して、何もないかもしれない。それならそれでいい。笑い話にしてしまえる。何かはっきりしたらその時に言えばいいい。
入院に備えて私は急いで家の中をきれいにした。家のことをいっさいしない義彦のためにまずタンスに「義彦・シャツ」「義彦・冬物」などとシールを貼った。ところが義彦は老眼で見えないらしく
「なんやこんなもん、急に貼ってからに。何のまじないや。それよりあそこで前に買うたあれないんか」と相変わらずである。先が思いやられると思っていたら検査の結果が出た。
「心配ないですね」
医者の一言に力が抜けた。よかった、と思ったら、義彦自立作戦は忘れてしまった。
そうこうするうちに年末になったある夜のことである。電気を消して布団をかぶったとたん、何か嫌な予感がした。そうだ、玄関の鍵だ。閉め忘れているに違いない。ちょっと戸締り確認してくるという私に義彦はあくびをしながら「めったなことあれへん。心配なんかするだけ損や。ほな、お先におやすみ」といった。
玄関も窓も確認したが、すべてきちんと閉まっていた。「大丈夫やった」と義彦に声をかけたが、気持ちよさそうな寝息が返事だった。
翌朝、珍しく寝坊している義彦を起こそうとして気がついた。息をしていなかったのである。
葬式もすんでから思い返した。これが私の「大凶」だったのだ。義彦のおみくじは「はじめから終わりまですべてよし」だった。それも当たっていたのかもしれない。