阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「見たことのない星」家田智代
さびれた町の、ほとんどの店のシャッターが閉まった商店街にあるカフェに入った。
「いらっしゃいませ」と言いつつ、こちらに視線を向けた、店主であろう女性が私の顔を見て「あ」という顔をした。私も彼女に見覚えがあった。嬉しくなって「お久しぶり」と言ってみる。最後に彼女に会ったのは、いつだったろうか。
「……たっちゃん?」
「よくわかったね。だいぶ変わったのに」
「わかるよ。わからないわけない」
そういう彼女は昔とあまり変わっていなかった。相応の時の流れは刻まれているものの、優しげな面差しは、私がほのかな恋心を抱いていた十代のころのままだ。ただ、疲れているのか、どこかあきらめたような生気のなさを漂わせていることが気になった。
コーヒーを頼み、私は昔なじみの気安さで彼女に話しかける。
「元気?」
「うん」
「なら、いいけど。少し疲れてるように見えたから」
「そう?」
と彼女は寂しげに微笑む。
「たっちゃんは元気なの?」
「なんとかね」
本当は元気じゃない。勤めていた会社をリストラされ、次の仕事はまだ見つかっていない。六十歳手前の私が再就職先を見つけるのは至難のわざだ。就活に疲れ、気がついたら故郷に向かう電車に乗っていた。故郷といっても、とうに両親は亡くなり、姉は遠くに嫁いで、すでに立ち寄る家もないのだけれど。
「店、ひとりでやってるの?」
「うん」
「失礼だけど、ご家族は?」
彼女は首を横に振る。両親が亡くなったのは納得できるとして、結婚はしなかったのだろうか。彼女のことを好きな男子はたくさんいた。私などは、とびきり上等な男でないと彼女の心をつかむことはできないだろうと考えて、気持ちを打ち明けることさえしなかった。最初からあきらめて、友達のひとりというポジションに甘んじていたのだ。
昔、彼女は輝いていた。明るい笑顔が似合う人だった。勝手な話だが、彼女には幸せに暮らしていてほしかった。
「ぼくもひとりなんだ。両親はもういないし、姉とは疎遠になってる。結婚もしなかった」
私が自分のことを話したら、彼女も話してくれるかと思って待った。こととしだいによっては、ひとり者同士寄り添い合って、これから先の人生を生きていけるかもしれない。そんな虫のいい思いも心をよぎったが、彼女は黙ってコーヒーをいれている。私は間が持てず、むやみにしゃべった。
「でもね、独身でよかったと思ってるんだ。ちょっと今、きつい状況になっててね。養わなくちゃならない家族がいたら大変だっただろうなって。その点、ひとりは気楽だよね」
それでも彼女が黙っているので、私はたいして考えもせず「変わらないね」と口にしたが、この言葉は彼女の気にさわったようだ。彼女は目を上げ、私を見据えて言った。
「変わったよ。無責任なこと言ってほしくないな、この町を捨てた人に」
「捨てたわけじゃない」
「出ていって帰らなかったってことは、捨てたってことだよ」
私は困って視線をはずし、窓の外に目をやった。店に入ったときは夕方だったが、今はすっかり暗くなって空に星がまたたいている。
よせばいいのに、沈黙に耐えられず、私は再び、つまらないことを言ってしまう。
「街並みや人の姿は変わっても、山や川は変わらないな」
「山は削られた。川は汚れた」
子どものように言い募る彼女に、私も少しむきになる。
「じゃ、星は? ここから見える星空は変わらない」
「そうかしら?」
言われて気がついた。変わっている。見慣れた星が見慣れた位置にない。それに、初めて見るあの青い星は何だろう? あんな星、あっただろうか?
「あれは地球」
私の心を見透かしたように彼女が言った。視線を戻すと彼女の姿は透き通りかけていた。
我に返った。私は今、月にいるのだった。
二〇××年、日本を含め、いくつかの国は人口が減少したが、海外には爆発的に人口が増えた国も少なくなかった。そんなとき月への定期航路が開通し、移住が始まったのだ。月に住むことは憧れの的になり、ステイタスともなった。だが、それも最初のうちだけ。やはり住みやすいのは地球ということで、地球の地価は高騰した。バブルのころの東京の地価のように。
私は地球に住むことができなくなって、家賃の安い月に引っ越したのだった。月の町のカフェは無人。席に着けば自動的に好きな飲み物が出てくる。カウンターの中には、もう誰もいない。というか、最初から誰もいなかった。私は夢想していたのだ。
窓の外には、見渡す限り、灰色の砂と岩が広がっている。空には青い星が懐かしい光をたたえて輝いていた。