阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「婆ちゃん星がのぼるまで」童木ゆかり
人はいずれ星になるという。
星になって、自分に近しい人を空の上からいつまでも見守り続けてくれるという。
だからお前のお婆ちゃんは死んだわけじゃなくてお星様になったんだよ、と。
お葬式を終えた日の晩に、お父さんは僕にそう言い聞かせてから自分の部屋に戻っていった。
そんなカビが生えて腐敗しきったクッサイクッサイ慰め方なんて誰が真っ先に言い始めたかは知らないが、情報社会の真っ只中を行く今の時代、例え相手が子供だろうが通用するわけがない。大体、お星様になるということは人間じゃなくなるということだから、やっぱり死んだってことになるのだ。
死んだということは、仲が良かった婆ちゃんとはもう会えないということにもなる。頭ではちゃんと分かっているつもりなのに悲しくて寂しくて仕方がなくなった僕は、その日は布団にくるまって一晩中起きて泣いていた。
翌朝、空が白み始めた頃に台所から水の音が聞こえてきた。
朝起きたら水を一口飲むことを日課の一つとしていた早起きの婆ちゃんの気配を感じて急いで覗きに行くと。
大人サイズの人型をかたどった大きな光の塊が、流し台の蛇口の水を掌ですくって飲んでいた。
人は死んだら星になる、という、昨晩お父さんから聞いたばかりの話をふと思い出す。途端にその光の塊の正体の予想も楽に出来たので、僕はなんだか妙に納得した。
婆ちゃんは星になったのだ。
ただ、星になることはなったけど、生前ちょっと太り気味だったせいできっと重すぎて空に浮かべず、決まり悪くてまた自分の家に帰ってきたのだろう。
星になった婆ちゃんは今までのように僕らと一緒に暮らし始めた。
ただ、婆ちゃんの姿はどうやら僕にしか見えないようで、お父さんやお母さんに訳を話しても『そうだね』と言って困ったように笑うか抱き締めてくるばかりで真面目に聞いてくれやしない。
婆ちゃんも婆ちゃんで、自分のことは自分で話してくれれば僕も助かるのに、僕からちょっと離れた後ろの方でじっと光っているだけで、何も言わない。何も言わないくせに一日中ずっと僕らの後ろをついてくる。
生きている時と同じように腰の辺りを少し曲げて、僕が本を読んだりゲームをしたり勉強をしたりする様子を傍で黙って眺めている。
かと思えば今度はご飯の支度をしているお母さんの後ろを意味もなくきらめきながらついて歩いたり、それに飽きたら席について新聞を読み耽っているお父さんの横に立って、体をやや前に傾げて物珍しげに手元を覗き込んでいる。
お父さんとお母さんが言い争いをしている時も、僕が友達とケンカして泣いて帰ってきた時も──家の空気がどんより沈んで息苦しい時でさえ何も言わず何もせず、皆の傍でただきらきらと輝き続けている。それが何だか無性にウザったくて腹立たしくて、僕は婆ちゃん星が日毎に嫌になってきた。
ある日僕は、一学期より成績が少し落ちていたことでお母さんにひどく怒られていた。
その後ろでいつも通り無言で光り続けている婆ちゃんに腹が立って我慢できず、机の横に立て掛けてあるバットで婆ちゃんの頭を思いきりぶん殴った。
途端に婆ちゃんはガラスのような音を立てて粉々に砕け、その風圧に乗って窓から外へと舞い飛んで行った。
大きな体が小さな粒に分かれたことで軽くなったのだ。
今度こそ本当の星になれることだろう、と僕はこの時初めて婆ちゃんの冥福を祈った。