阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「雪雲のない空から」中杉誠志
娘は木製の柵のなかで、毛布にくるまって横たわっている。ときどき「あー」とか「おー」とかいうことがあるが、その言葉にどんな意味があるのか、私にはわからない。
私の休日に、妻は家にいないことが多い。今日も友人と映画を観るとかで、私と生後半年の娘を残して出かけた。それは構わない。専業主婦にも休日は必要だろう。それに、休日は私にとって、普段まともに見られない娘の顔をじっくり見る機会でもある。妻と娘がいて、安定した給料をもらえる仕事がある。この生活に、不満はない。
結婚する前、私は水商売をしていた。収入の面でも、性生活の面でも、不安定な生活を送っていた。給料は完全歩合制。客を呼ばなければ金にならない。そのうえ、お茶を挽いた日には、浴びるほど酒を飲まされた。貧困と急性アルコール中毒を避けるには、客を呼ぶしかなかった。客を呼ぶためには、外に出て営業活動をするほかない。
そのため、当時の私は、営業時間外、道行く女に声をかけまくっていた。目的はお手軽なセックスではなく、金だった。しかしそれでわかったのは、女に金を使わせるのは、女に股を開かせるより難しいということだった。
私はいったい、何度愛情もなく、金にもならないセックスを繰り返し、どれだけムダに体力を消耗させ、神経をすり減らしていただろう?
そんな生活は、妻との出会いをきっかけに変わった。彼女は固い女だった。なにせ当時、女に股を開かせるのに最短で十五分とかからなかった私に、三ヶ月も根気に口説かせたほどだ。私もまた、よくそんなに粘ったものだと思う。よほど彼女にのぼせていたのだろう。
彼女と出会ったのは、水商売を始めて半年ほど経った、九月の終わりだった。私が懲りずに続けていた営業活動の中で、たまたま声をかけた女のうちの一人が彼女だった。その時点で、もう何千人の女に声をかけていたかわからないが、正直な話、当初彼女は無個性な女の一人にすぎなかった。しかし、何度かメールや電話でのやりとり、それに固いデートを繰り返すうち、私は彼女に惹かれていった。彼女の何がそこまで私を魅了していたのかは、実は今でもよくわからない。美しい容姿か。気立てのよさか。いや、私が彼女に惹かれたのは、案外、彼女のしたたかなところかもしれない。
私たちは、その年のクリスマスイブに初めて体を重ねた。翌年には水商売から足を洗い、昼間の仕事を見つけた。そして、生活が安定したところで、彼女にプロポーズをした。彼女は泣きながら了承してくれた。私の人生で、これほど幸せな時期はなかった。
妻は、結婚する前から子供を欲しがっていた。私も昔から子供が好きだから、ひとりふたりといわず、経済力の許す限り子供が欲しいと思っていた。が、結婚して三年目になっても、子供はできなかった。避妊をしているわけでもないのに、妻は妊娠しない。種が悪いのか畑が悪いのか、それはわからなかった。どちらも検査するのを拒んでいたからだ。私としては、私の種に不妊の原因があると知るのが怖かった。彼女も同じ気持ちだったに違いない。だから、お互いに、
「いつかできるよ」
「そうね」
と言い合い、誤魔化しながら過ごしていた。
そのうち私は、
「まあ、子供なんていなくても、君といられればいいよ」
などと口走るようになっていた。妻は、私がその手の戯れ言を吐くたびに、曖昧に同調してくれたが、それが嘘だと私は知っていた。彼女は笑顔の裏側で、熱烈に子供を欲しがっていた。
そこで私は、ある日妻に黙って検査を受けた。その結果を、妻に話すかどうか決めかねているとき――彼女の妊娠が判明した。彼女は素直に喜んでいた。私も表面的には喜んだ。が、内心、心臓を切り刻まれるような思いだった。検査の結果、私が無精子症であるということが判明していたのだ。
遺伝学上の問題で、総領娘は大抵父親に似ると聞いたことがある。そのせいか、
「この子はあなたに似てる」
と妻はしきりにいうが、私はそうは思わない。それでも私は、妻を恨んではいない。彼女が私についた嘘を暴くつもりもない。まして、生まれた子供に罪はない。私は、私の子として、娘を育てていくつもりである。
冬のごく寒い日に、晴れた空から、雪片が落ちてくる気象現象を、風花(かざばな)という。雪雲のない空から雪が降ることがあるなら、種のない親から子供ができることがあってもいいだろう。
だから私は、娘に風花(ふうか)と名付けた。