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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「お嬢様の憂鬱」木村和央

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第34回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「お嬢様の憂鬱」木村和央

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

彼は、私の執事、藤木と言います。物腰が柔らかく、気遣い上手な執事です。

 

「お帰りがいつもより遅かったので、心配致しました。何か問題でもございましたか?」

 

「ええ、ちょっと会社でトラブルがあって。でも何とかなったから大丈夫よ」

 

「さようでございましたか、大変でしたね。しかし、庶民の生活を勉強するとは言え、身体など壊さぬようお気を付けください」

 

「分かってるわ、ありがとう」

 

青薔薇館。世間からはそう呼ばれているお屋敷で、私は<お嬢様>として育てられました。最近は、庶民の生活を学ぶために家を出て、会社というところに勤めています。

 

「お嬢様、ディナーの準備が整いました。本日は、グリュイエールチーズスフレとオマール海老のピスク、鴨のコンフィをご用意致しました。デザートはガトーフロマージュと、バニラパンナコッタどちらにいたしましょう?」

 

「ガトーフロマージュにしようかな。あと紅茶もお願いね。フレーバーは藤木に任せるわ」

 

「かしこまりました。では、ご用意致します」

 

彼は、人並み外れた紅茶の知識を持っているということもあり、私はいつもオススメを頂くことにしています。

 

藤木は『執事』なので、もちろん私の世話は完璧に行いますが、それ以外にも、音楽やダンスなども心得ています。彼は本当によくできたものです。

 

「今日は、お嬢様のお身体を癒すために『バイカル』という紅茶をお作り致しました。ベルガモットの香りと、オレンジの果汁を加えたフレーバーになっております」

 

藤木がティーカップに紅茶を注ぐと、優しいシトラスの香りが部屋中に広がりました。紅茶の香りに包まれるこの瞬間が、私の至福なのです。

 

紅茶を飲み終えると、私はカップの底に花が描かれていることに気付きました。

 

「この花は何?」

 

私は何だか無性に気になり、藤木に尋ねました。

 

「これは、ダチュラという花でございます。花言葉は『偽りの魅力』です」

 

「偽りの魅力?なぜ、<偽り>なのかしら」

 

藤木は、何か意味ありげな視線を私に送りながらこう、答えます。

 

「ダチュラは、幻覚症状を引き起こす毒を持っているのです。この毒性を連想させて、花言葉にしたのでしょう」

 

「まぼろしを見てしまうのね」

 

などと、他愛もない雑談をしながら、私はこの生活がいつまでも続けばいいのに、という思いがこみ上げました。

 

執事がこうやって傍にいれば、庶民の生活にも耐えて生きていけるから。

 

「お嬢様?どうかなさいましたか?」

 

‥‥‥そう私は、お嬢様、お嬢様なの。

 

「そろそろ、お休みの時間だわ。今日も一日ご苦労様。お休みなさい」

 

そう言って、私は彼の首の後ろにある電源ボタンを切る。プツンと、音が鳴ると同時に私は夢から目覚める。

 

彼は、天才科学者が開発した人間型ロボット。お嬢様の世話をする執事という役割がプログラミングされている。見た目は、とあるモデルを参考に作ったようで、なかなかのイケメンである。言語処理や音声変換に関しても正常に行われている。

 

しかし、問題点も多いのが現状だ。発熱量が多いため、故障が絶えない。実際のところ、冷却装置は週に一回取り替える必要がある。維持費だけでもかなりの額になる。

 

だが、私はこの執事ロボットなしにこの世界を生きていくことは、もうできない。私が<幸せ>を感じることができる場所は、もうここしかないのだから。外の世界では、人の

 

人生に平気で文句をつけ、他人の悪口で盛り上がり、自分の価値観を押し付け合いながら生きている。

 

そんな生きにくい社会より、偽りの世界で生きる方がなんて幸せなことか。

 

もし、藤木が起きていたらきっとこう言うのだろう。「お嬢様は、そのような哀れな庶民と一緒にいる必要はございません。お嬢様はこの屋敷の大事な至宝なのですから」と。

 

残りの紅茶をポットからティーカップに注ぐとき、再びダチュラが目に止まった。そして、藤木のあの視線を思い出す。

 

「お嬢様ごっこも幻覚だ、って言いたかったのかしら?」