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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「大晦日の電話」福川永介

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第34回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「大晦日の電話」福川永介

十二月三一日が、あと三十分で終わろうとしていた。

 

ため息をついて、缶コーヒーをすすった。この小さな公園には、私以外誰もいない。ベンチの冷たさがお尻にひんやり伝う。

 

あと三十分で今年が終わる。同時に会社員生活が終了する。

 

四十三年間の会社勤めも終えてみればあっという間だった。

 

「これからどう生きようか―」

 

私はしわくちゃな手を見つめた。

 

趣味も持たずひたすら仕事に邁進してきた。妻は二年前に先に逝ってしまった。私たちは子宝に恵まれなかった。

 

私は夜空を眺める。星の輝きよりも、漆黒の闇が心に侵食してきた。果てしなく深い闇だった。

 

誰もいない家へ帰ろうと腰を上げかけた時、携帯電話が鳴った。思わぬ相手だった。

 

「もしもし」

 

『よう殿村、久々だな』

 

大学時代からの友人、河田からだった。あい変わらずメガホンで叫んでいるような大きな声の響きだ。

 

「どうしたんだ?こんな時に」

 

『実はどうしても知らせたいことがあってよ』

 

「何だよ?」

 

『明日の正月特番の刑事ドラマ、ぜってーに見てくれよな』

 

「ドラマ? まさかお前?」

 

「そう、ついに名前も台詞もある役をもらったんだよ。はははっ」

 

河田は役者だった。といっても無名だ。アルバイトを掛け持ちしながら、芝居を続けていた。芽が出なくても四十年近く憧れを追いかけていたのだ。数年前、一度彼と飲んだ時に近況を聞いた。彼は芝居を愛していた。

 

「すごいじゃないか」

 

友の躍進に声が弾んだ。

 

『あともうひとつ、伝えたいことがあってな』

 

「何だよ?」

 

一拍置き、息を吸う音が受話口の向こうから聞こえた。

 

『―四十二年間、会社勤めご苦労さんだったな』

 

私は口を真一文字に結び、目を閉じた。込み上げてくるものがあった。震えそうになる声をこらえる。

 

「……ったくよ。よく覚えてたな。ただ、正確には四十三年間だからな。そこ間違えるなよ」

 

『細かいねーあい変わらず。さすが経理部長さんだ。ははは』

 

屈託のない笑い声に、河田の堀の深い顔を思い出していた。

 

『ところで殿村。これからのこと、どうするんだ?』

 

痛いところをつかれた。

 

「何も考えてないよ。老後にやりたいことも決めてなかったし。趣味もないしな」

 

『お前、大学時代ギターやってなかったっけ?』

 

「ギターかあ。ああ、確かに」

 

中学の頃から、ミュージシャンになりたくて、毎日ギターを弾いていた気がする。しかし、安定を求めいつしか諦めたのだった。

 

『先生の次はミュージシャンなんてどうだ?』

 

「馬鹿いえよ。この年齢で」

 

『でも、お前がギター弾く姿、いまだに覚えてるよ。あれはカッコよかった』

 

「よく覚えてるな。そんな昔のこと」

 

しばらく会話が続いた。寒さなんて忘れていた。さっきまで沈んでいた気持ちは、羽が生えたように軽くなっていた。

 

『じゃあ、殿村。役者仲間とカウントダウンするから、そろそろ失礼するよ。来年もよろしく。よいお年を』

 

「そうか、楽しそうだな。よいお年を」

 

通話を終えると、大きく伸びをした。夜空の星が眩しく感じた。

 

「まだ終りじゃない、よな」

 

一人つぶやき、缶コーヒーを飲みほす。

 

若々しい声だったな―河田の声の残響が耳にまだ広がっている。

 

私はベンチから腰を上げ、公園の出口へ歩きだした。青春時代の流行歌を口ずさみながら軽快に。

 

体は無意識にギターを弾くポーズをとっていた。しわくちゃな手は楽しそうに踊っている。

 

「正月から営業してる楽器屋なんてあるかな」

 

口から漏れる白い息は音符のようだ。明日は久々に出かけてみようと思った。明日が待ちどおしかった。

 

腕時計を見た。昔、妻からプレゼントしてもらったものだ。希望を刻む秒針を目で追う。  

 

五……四……三……二……一。

 

「今年もよろしくな」

 

私は新しい年に微笑んだ。