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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「一炊の夢」星哲朗

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第34回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「一炊の夢」星哲朗

「冗談じゃあないですよ。毎日やりたくもない仕事で疲れ果て、上司の顔色を伺って短い人生を過ごすなんて。せっかく生まれてきたんだ。成功しようが、失敗しようが、自分の夢を追いかけたい。そして、最後は、ああ、おもしろかった、と言って死にたいじゃないですか。だから、おれ、会社を辞めて旅に出たんです。自分の夢を見つける旅なんです」

おれは旅館のおかみさんに熱弁をふるった。

「若いっていいわね。そうそう、いいものがあるわ」と言って、おかみさんは枕を持ってきた。「これを使って眠ると夢が叶うんですって。いわれは何だったかしら? 確か、一炊の夢とか……」

翌朝目覚めると、絶世の美女が目の前にいて、おれのことを熱いまなざしで見つめている。おれたちはたちまち恋に落ちた。……ということはなく、いつも通りの冴えない朝だった。おれはがっかりして朝食を食べに行く。

食べ終わり、なんとなくお茶を飲んでいると、隣の席のおじいちゃんが話しかけてくる。「わたしはね、これでも老舗の文具メーカーの会長をしていてね。でもね、ウチの商品、売れなくなってね。何もかもイヤになってこうして旅に出たわけ」としょぼんと言う。

「今は少子化ですし、どんどんデジタル化してますからね。いっそ高齢者に特化した文具を開発したらどうですか。力を入れなくてもスイスイ書ける鉛筆とか、さっと消せる消しゴムとか……」とおれは思いつきで言った。

「なるほど! それはいいかもしれない。さっそく社内で検討してみるよ」

高齢者用文具シリーズは、実際に商品化され、空前の大ヒットを記録。おれは莫大な謝礼をもらうとともに、社内の商品企画室の一員として迎えられた。おれはその後もヒット企画を連発。マスコミからも注目され、時代の寵児として脚光を浴びた。

しかし、そんなおれを妬むヤツもいた。あることないこと噂にされた。だが、会社の金を使い込んでいたのは本当でおれは逮捕されてしまう。

七年の刑期を終えたおれは何もかも失い、ホームレスになった。絶望したおれは、遺書を書いた後、公園の木にロープを結び、自殺を試みる。だが、枝が折れてしまう。

「バカなことをするんじゃない!」知らないおじさんがおれに駆け寄る。

「生きていれさえすれば、人生は何度でもやり直せる。いや、生きていること自体、奇跡のように素晴らしいことなんだ。それなのにこんな遺書まで書いて」とおじさんはおれの遺書を手にとる。

「素晴らしい詞だ。人生の全てがここに詰まっている。ぜひ、この文章に曲をつけさせてください」

後で知るのだが、このおじさん、有名な作曲家だったのだ。おれの遺書が元になった歌は売れに売れた。その後も、おれとおじさんのコンビでヒットチャートを席巻。おれは日本を代表する作詞家の一人になった。

だがいいことは続かない。おれの作品に盗作疑惑が浮上したのだ。おれは憤慨したが、盗作は事実だった。最初の頃はもちろん自分で書いていたが、注文が増えるうちに間に合わなくなって、ほかの人の作品をちょっとアレンジしたり、外国のヒット曲を訳したのを自分のものとして発表していたのがばれ、おれは業界を追放された。

その後、脱税、不倫スキャンダル、大病を乗り越え、国会議員にもなった。良いことも、悪いこともすべて経験した。

そんなおれの人生も幕を閉じようとしている。おれが寝ている傍らには妻がいる。

「今までありがとう。きみと出会えたことがおれの最大の幸運だったよ」と感謝を伝え、おれは静かに目を閉じた。

しかし、自分でも驚くほどドラマチックな人生だったな。いや、待てよ。逆におかしい。いろいろありすぎる。そういえば、あの旅館のおかみさん、一炊の夢とか言ってたな。

おれは目を閉じたまま、一炊の夢について調べるように妻に頼んだ。おれを見送る気まんまんだった妻はびっくりしたようだが、スマホか何かで調べてくれた。それによると、どうやら中国の故事に由来する言葉らしい。

一炊の夢の主人公は、栄枯盛衰に満ちた一生を送る。だが、それは夢の中の出来事で目覚めてみると、実際はまだ炊きかけの粟飯もできあがっていない程の短い時間しか過ぎていなかったという話だ。すると、おれ、今、目覚めちゃうとあのときに戻って、旅館のおかみさんがご飯を炊いていることになる。

遠ざかる意識の中、女性の声が聞こえてくる。それは、「お客さん、お客さん」とも、「あなた、あなた」とも聞こえる。目を開けて、若く、無名の何もない自分に戻るのがいいのか。それとも、このまま思い通りの人生を生ききったと思って死ぬほうがいいのか。

目を開けるかどうか、まだ決心がつかない。