阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「右眼に棲む虫」出﨑哲弥
右眼に小さな黒い虫が棲むようになって、かれこれ三年になる。
初めて現れたのは、私が五十歳になったばかりの頃だった。仕事中にふと気づいた。視界の右上に、糸くずの塊のような虫が飛んでいる。
追い払おうと、目の前で手の甲をひらひら動かした。けれど逃げていかない。メガネに何か付いているのかと思って、外してみた。メガネはきれいなまま、虫は相変わらず右上にいる。そこでようやく気づいた。虫は眼の中にいるのだと。
正確に言えば「もどかしいくらいピントのずれた、虫のような黒い影」が見えているのである。横目で何かを見るときのように眼だけを動かすと、一緒に動いて付いてくる。つまり眼球右上部に張り付いている状態に近い。まつげをつまんで引っ張ってみたり、まぶたの上から眼球を押さえてみたりした。何も変化はない。
ショックだった。これは奇病かと、慌ててインターネットで調べた。眼科のサイトに、答えはすぐ見つかった。
「飛蚊症」というらしい。
感心している場合ではないけれど、うまく表現したものだと思った。眼球の中は硝子体という透き通った寒天のような物質で満たされている。その硝子体の中に濁りが生じて、網膜に影を作る。これが「飛蚊症」なのだそうである。どうもその多くは、病気というよりも老化現象の一つのようだった。
結論は、治療によって治るものではないということ。老化現象となればまあそうだろう。中には、目の前に「虫」が浮かび続けることからノイローゼになる人もいるという。分かる気もした。
サイトでは、早めに眼科で検査を受けることを勧めてあった。しかし、老化現象、しかも治るものではないと聞くと、わざわざ受診に行く気がしない。症状が悪化しない限り放っておくことにした。
強がって、周囲には笑い話にして伝えた。
「年齢を重ねて経験を積まないと見えないものがあるってことだな」とか、
「毎日見てると可愛く思えてくるんだよ。名前を付けて呼ぼうかな。妖精みたいだし『ティンカーベル』がいいか」とか。
それにしても気持ちがよくない。ずっとこのままだったら、と不安が募った。
ところが、そのうち「虫」は見えなくなった。いや、気にならなくなったのである。
「そういえば見ないな。どこへ行ったんだろう?」
そう思った瞬間、「虫」はいつもの場所に姿を現す。それからしばらくそこに逗まっている。他に気を取られていると、いつの間にかどこかへ消え去っている。本当は「虫」はずっと同じ場所にいるのだろう。そうと分かっていても、不思議だった。座禅を組んで心を無にするというのは、こんなことなのかもしれない、と変なことも考えた。
そう、気にしなければ、いないのと同じなのである。「飛蚊症」でノイローゼになるのは、一つのことにこだわりすぎて忘れることができない人種なのだろう。
そんな風に自慢したことがあった。二年前、妻に。ちょうど「虫」が見えなくなることに気づいたばかりの頃だった。
今、目の前にいる妻は、さっきからずっと無表情のまま黙っている。テーブルの上に置かれた離婚届は、あと私が名前を書いて捺印するだけになっている。
「どういうことだ? これはいったい」
妻は無言のまま視線を離婚届に向けている。
「こんなものを突然出される覚えはオレにはないぞ」
「……ないでしょうね」
「なんだと?」
「気にしないで、なかったことにするのが得意なんですものね」
「はあ、何が言いたい」
「ずっとそうやって、子どもたちのことも、私のことも、一つ一つ視界に入らないようにしてきたんでしょ、と言ってるの。どれも見えていたはずなのに」
妻がぶちまける前に、私の中に全てが蘇ってきた。反抗期の娘を殴って、それきり一切口をきかなくなったこと。人間関係に悩んで息子が大学をやめたいと言った時に、好きにすればいいと一言で片付けたこと。妻が神経内科で処方された薬を飲む横でスマホをいじっていたこと……。
なぜか目の端に「虫」が姿を現した。
「別れましょ。いえ、別れます」
現れてはそのたび去っていったのは、どうやら同じ一匹の「虫」ではなかったようである。「虫」がもう一匹出てきた。そしてもう一匹……。こんなにたくさんどこに隠れていたのだろう。
右眼の中が真っ黒になった。