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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「雄カマキリの憂鬱」須堂修一

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作文・エッセイ
結果発表
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第33回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「雄カマキリの憂鬱」須堂修一

「うう、頭が痛い、飲みすぎだ」

俺は痛む頭を抱えてベッドから起きた。

まだ酔いが残っているのか、足元がおぼつかない、手先や首、頭、全身がおかしい、まるで自分の体じゃないみたいだ。

昨夜は一人でひどく酔ってしまった。

原因は分かっている、虚しさだ。二十代なのにもう将来が見えてしまっている事。三流大学を出て三年、何とかもぐりこんだ会社で営業職をやっている。結婚はするだろうがこのまま歯車としての人生を送るのだろうと思う。そしてそれを打開するほどの気力も実力も無い事は自分が一番良く分かっていた。

ギクシャクと歩いて洗面所へ向かう。

鏡を見ると映っていたのはカマキリだった。

自分の体じゃないみたいだとは思ったが、なんだこれは。

手を上下させると鏡の中のカマキリも鎌を上下させる、首を振ると逆三角形の頭が器用に動いた。大きさは元の俺と同じ、百六十五センチってところか。

これじゃ会社に行けないな。とりあえず顔を洗いたいが手が鎌なので蛇口が回せない。

この状況に大して驚きもせず、妙に冷静な自分に対して驚く。こんな順応力あったかな。

外に出ようと思ったがドアノブが回せない。

仕方なく部屋でじっとしていたがそのうち腹が減ってきた。

カマキリって何食うんだっけ、確か肉食だったような気がする。

窓から外を見たら何かが飛んでいく。

ベランダに出てみると(俺の住んでいるのはワンルームマンションの五階だ、ベランダの窓は鎌の先で何とか開けられた)外を色々な虫が歩いていた。カブト虫にクワガタ、バッタにアリンコ、コオロギやらクツワムシ、鈴虫、キリギリス。目の前を細長い物体が素早く横切る、トンボだ。それもギンヤンマ。他にも赤とんぼやモンシロチョウ、アシナガ蜂、クマゼミ等々が空を舞っている。

地上にいるのも空にいるのも皆等身大だ。

ベランダから飛び立ち、素早く物陰に隠れると、目の前を通る虫たちを物色し始める。

都合よく右手から小柄なバッタが歩いてくる。俺はバッタが通り過ぎるのを待ち、背後から鎌の餌食にした。

手早くバッタを仰向けにすると緑と黄色の混じった柔らかい下腹にかぶりつく。

バッタは手足をばたつかせて抵抗するが両手の鎌で押さえつけているのでほとんど動くことは出来ない。腹から濁ったオレンジ色の中身が飛び出し、俺はそれをすすりながら、初めてなのにどうしてこんなにうまく獲物を捕まえれるんだと思う。本能かな。

それからしばらくの間、腹が減ったら町中に出て獲物を捕まえて食い、後は部屋でゴロゴロしている日々が続いた。

これは理想の生活なのかも知れない。

そうそう、テレビのスイッチやスマホの操作は鎌の先に生えている毛で出来るようになった。蛇口のハンドルも何とか動かせる。

ある日の夜テレビを眺めていたら、カブトムシの雄と雌が交尾をしている映像が始まった、どうやらドラマの中のラブシーンらしい。

世の中がこうなってから、テレビに出てくるのも全て虫になっていた。

雌雄のカブト虫がベッドに仰向けに並んでいるシュールな映像を見ながら俺は無性に女、雌カマキリが欲しくてたまらなくなっていた。

雌と交尾したらその後食われるので近寄らないようにしていたのだが、そんな冷静さを吹き飛ばす強い欲求が身内を駆け回る。

外に飛び出した俺は雌を探して飛び回った。

いた、脇道の影に隠れて獲物を探している雌カマキリを見つけた。膨れた腹をした、俺より二回りは大きい立派な雌だ。少し離れたた場所に降り立ち、背後からそっと忍び寄る。目の前を通るバッタに気を取られている雌の背中にいきなり飛び乗り、食われないようにしっかりしがみつくと交尾を始めた。

事を終えると一目散に逃げようとしたが一瞬早く振り返った雌に捕まった。

全力で暴れるが両方の鎌で捕まれ身動き出来ない。諦めかけた時、雌が話かけてきた。

「ねえ、命は助けてあげるからさ、一緒に暮らさない。条件はあたしが卵を産んで子供を育てる間、代わりに餌を取ってくること。断ったら今夜の夕飯になるけど、どうする」

「ただいま、取ってきたよ」

「お帰り、今日はバッタか、ありがとう」

でかい腹を抱えた彼女が出迎えてくれる、俺は抱えていたバッタを下して一息ついた。

「もうすぐ生まれるわ、子供達の顔を見るの楽しみねえ、どっちに似るのかなあ」

そう言いながらバッタの腹をかじる彼女の横で、これが望んだ生活か、変身前と同じじゃないか、といぶかる自分に、この生活も悪くない、子供が生まれるんだ、幸せなはず。と言い聞かせ、おこぼれの足を口に運ぶ。