阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「虫が鳴く」奈津芽
九月に庭付きの戸建てからマンションに引っ越した。望んだわけではない。夫が他界し、子どもがいないので相続は七十二歳の私ひとりだと思っていたら、夫の亡き兄の息子が、つまり甥が、遺言のないことを盾に遺産の四分の一を要求してきた。夫の十年にわたる闘病生活で貯金を使い果たし、財産といえば家屋しかなくて裁判沙汰になった。結果として甥の相続分は八分の一に減額されたものの、現金を用意しなければならず、家を売却した。
駅からバスで十五分の物件を売り急いだので、たいした金額にはならなかった。甥に支払ったあと、手元に置く現金を差し引いた金額で、駅に近い築二十年のマンションのワンケー(1K)を買った。戸建ての家具は入りきらないので、タンス一棹だけを残し、あとは業者にお金を払って処分してもらった。
引っ越し前夜、家の縁側に座ってあんパンを食べた。朝から家を磨き上げてクタクタだった。庭ではいつものように虫時雨が奏でられていた。コオロギの声がひときわ大きく響いた。声の流れをたどると、がらんどうの居間に吸い込まれていた。壁に床に天井に浸みこみ血のように家をめぐるのだろうと思った。
引っ越しが済んで数日が経ち、甥のはがきが転送されてきた。賃貸住宅から戸建てへの転居通知だった。遺産を建て売りの頭金にしたか! はらわたが煮えくり返り、駅前の旅行会社に飛び込んだ。パンフレットスタンドに並ぶ色とりどりのチラシを上から下まで眺め、『贅沢な河口湖』というオレンジのチラシを選び取った。楽しい思いをすると決めた。
旅行当日、大型のバスに足を踏み入れ驚いた。二人掛けが六列並んだ十二の座席はゆったりしていて、それぞれ席の背後には、背もたれを倒しても後ろの人に影響しないように囲いがついていた。最年少が六十五歳という十二人の参加者のうち、三組の夫婦を除く六人の女はみんな一人参加だった。隣の席は小柄で人のよさそうな七十歳の節子だった。ふふっと笑うときにちょっと肩をすぼめるくせがあった。前席に参加者最年少の洋子がいて、持参したお菓子を分けてくれた。ふくよかな体を豹柄の黒いカットソーで包んでいた。
一人参加者は、結婚して夫と死別した私と節子と洋子、独身を続けた三人、と二つのグループに分かれたが、ほぼ六人でかたまって行動した。独身組の六十七歳の克子が総まとめ役で六人を結束させるように努めていた。
北口本宮冨士浅間神社の駐車場に到着し、大鳥居までの道すがら、洋子は先を歩く克子を見て「学級委員長もどきねぇ」と口を歪めた。桃山様式の荘厳な神社本殿を見学したあと、洋子が私と節子に耳打ちした。「三人でピンクの『美のお守り』を買わない?」
節子は「うん、うん、ピンクいいね。若返るね」とすぐにお守りを手に取った。洋子があわててお守りを取り上げ、もとに戻した。「あっちの三人がお守り売場からいなくなってから買うのよ。これは私たち三人だけの友情のしるしなんだから」
私は三人でも六人でも構わなかったが、狭い仲間意識というものにトキめき、洋子の指示に従ってピンクのお守りを手に入れた。
夜のホテルでの食事は、食事処でめいめいが好きな時間に食べられるようになっていたが、一人参加の六人がテーブルを共にした。お酒も少し入り、おしゃべりを存分に楽しめた。克子が盃を上げ、「これからも友だちでいてください」と笑顔で一礼した。「住所交換しませんか? あたしはメールもラインもやらないので、手紙やはがきを書きます。みなさんも私に手紙やはがきをください」
克子を煙たがっていた洋子が真っ先に「書く」と手をあげた。節子も肩をすくめて手をあげ、私も頷いた。全員が住所を教え合った。
食後に六人そろって露天風呂に入った。夜の富士山は雲が多くて山頂しか見えなかったが、みんな満足げに見入っていた。私は目を閉じた。虫たちの鳴き声が響き渡る。新しい五人の友だちができた。頬が自然に緩んだ。
旅を終えてマンションに帰り、部屋の灯りをつけて私は凍りついた。物や衣服が散らばり、夫の位牌も転がっている。ベランダの窓が割れていた。タンスの引き出しの現金を確かめた。家を売ったときに取りおいたお金。
ない。震える手で警察に電話した。
かけつけた警察官は「旅先で誰かに住所を教えましたか?」と訊いた。頷くと、「それですよ」と人差し指を振った。「ツアーに単身で参加する高齢者が増え、窃盗グループの標的になっているんです。高齢者はメールやSNSなどしないので、ツアーに潜り込んだ犯人一味が手紙のやりとりをしようと住所を聞き出し、それを即刻窃盗班にメールで知らせ、その日のうちに盗みに入らせるんです」
私は頭を抱えた。露天風呂で聞いた虫の鳴き声が頭の中で大きく響いた。しだいに鳴き声が血に溶けて全身をめぐり始めた。体に震えが走り、気が遠のいた。