阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「片思い発両思い行き」家田智代
絶版になった本を探そうと、パソコンでオークションのページを検索していたら、懐かしいものを見つけた。『M』という少女雑誌。表紙に「片思い発両思い行きの列車の切符を手に入れよう」というコピーが躍っている。
出産で退職するまで私は『M』の編集部にいた。このコピーを書いたのは私で、着想のヒントになったのは「愛の国から幸福へ」というJRもとい国鉄の切符だ。時代がバブルへと向かう浮かれた空気の中で、若い男女は誰もが素敵な恋を夢見ていた。
すでに定年退職し、日がな一日、テレビの前で寝っ転がっている夫の背中を見ながら、私はしばし思い出にひたる。
大学に入る前の春休み、女友達と京都に出かけた。泊まったのは仁和寺の近くのユースホステル。食堂でふと振り向いたとき、明るい瞳をした青年と目が合ってドギマギした。白いシャツがよく似合っていた。もう一度振り向いてみたかったけれど、二度見するのも失礼なので我慢する。
その人のことがわかったのはユース主催のミーティングのとき。夕食がすんだあと、旅情報の交換や雑談をする時間だ。自己紹介で彼は、東京の大学に通っていてフォークソングが好きだといった。
そこから盛り上がった。僕も、私もフォークが好き。かぐや姫っていいよね。『神田川』最高! 赤い鳥も素敵。『翼をください』は名曲だ。バンバンの『いちご白書』も必聴だよ、などなど。いつしかみんなで歌い出し、ミーティングの時間は、あっという間に過ぎた。
「いい思い出ができたね。ユースにしてよかった」という友達の言葉にうなずきながら、私は白いシャツが似合う彼ともっと話したい、話しかけてくれないかな、と思っていた。
しかし、願いもむなしく、彼は一緒に来ている仲間たちと、サッサと部屋に引き上げていった。明日は朝早いのだろうか。実際、私たちが朝食をとりに食堂へ行ったとき、彼のグループはいなかった。
帰ってしまったのかもしれない。そう思ったときはショックだった。その日は嵯峨野を観光したのだが、何も心に残らなかった。好天で桜が満開、願ってもない散策日和だったのに。ドラマの撮影によく使われる有名な竹林の小道も上の空で歩いた。あんなに歩いてみたかった道なのに。
私、変だ。会ったばかりで、どんな人かもわからない相手のことが、こんなに気になるなんて。ようやく気持ちが落ち着いたのは、ユースに戻って彼の姿を見たときで、よかった、まだ帰っていなかったと安堵した。
彼は談話室にいて、ぎこちない手つきで右手に包帯を巻いていた。巻きにくそうだと思っていたら、包帯が落ちてコロコロと転がった。思わず駆け寄って包帯を拾い、
「お手伝いしましょうか」
「ありがとう。ちょっと切っちゃって」
彼は、はにかんだ笑みを浮かべた。その笑顔に再び心を奪われる。この人が悪い人であるはずがない。包帯を巻き終えたら少し話をしよう。こんなチャンスは二度とない。
でも、巻き終わったら友達が呼びに来て、彼は「じゃ、また」と行ってしまった。なんという間の悪さ。それでも「また」という言葉に希望を託す。次があるんだ、と。
ところが翌朝、彼の姿はなかった。彼のグループは早い時間にユースを発ったという。要するに、片思い。こちらが思うほど、あちらは思ってくれなかったということだ。私は東京住まいだが、東京だって広い。もう会うことはないだろう。
ガッカリして帰宅した一週間後、ポストに手紙が届いた。彼からだった
包帯を巻いてもらって嬉しかった。ドキドキして何を話したか覚えていない。ちゃんとお礼を言ったかどうか気になって、ユースに電話し、住所を教えてもらった。あのときはありがとう。僕と友達になってくれませんか。そんなことが書かれた手紙には、フォークコンサートの切符が入っていた。
のどかな時代だったと思う。今なら宿泊先が客の住所を教えるなんてあり得ない。おかげで、あのときの青年は今、ちょっぴり髪が薄くなった姿で私のそばにいてくれる。ありふれた旅先での出会いだけど、悪くないものだった。ふたりは結婚して一男一女に恵まれ、子どもたちが自立した今も、寄り添い合って暮らしているのだから。
あのときの娘はパソコンを閉じ、老眼鏡をはずして苦笑する。そういえば昨日、掃除機をかけていて「あなた、邪魔」と、とがった声を出したっけ。出会ったころは、恋した人のことをそんな邪険に扱うなんて、想像もしなかった。
今夜は彼の好きな肉豆腐を作ろう。よく冷えたビールを添えて。そして明日は久々に、洗いたての白いシャツを着てもらおう。