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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「手紙」いとうりん

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第32回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「手紙」いとうりん

今日のラッキーカラーは緑だ。現金書留の緑のラインをなぞりながら、麻美は鋏も使わず封を開けた。千円札が五枚入っていた。

「サンキュー、お母さん」

麻美はその中から三枚を抜いて財布に入れると、お気に入りのコンバースを履いて外に出た。実は昨夜から何も食べてない。所持金十二円では、チロルチョコも買えない。

麻美が、女優になるという大きな夢を抱いて上京したのは二年前だ。地元では「町一番の美人」「超絶可愛い」などと言われてその気になっていたが、ここには麻美程度の容姿はごまんといる。なかなか女優として芽が出ない上に、劇団の練習を優先していたらアルバイトをクビになった。日雇いのバイトでも探そうかと思った矢先、母から『お金を送った』とメールが来た。以心伝心とは、まさにこのことだ。まずは空腹を満たそうと定食屋に行き、むせながらカツ丼を食べた。

「五千円か。もうちょっと欲しかったな」

親の反対を押し切って上京しておきながら、しかも携帯代とアパート代まで親に甘えている身でありながら、麻美はそんなことをつぶやいた。五百円のカツ丼は、あっという間に麻美の胃の中に収まった。

定食屋を出ると、ドラックストアで安い化粧品と少し高級なシャンプーを買った。バイト募集の張り紙を見て、とりあえず考える。もっと自由が利くところの方がいい。あくまでも本業は女優なのだと自分に言い聞かせる。劇団の先輩の中には、居酒屋の店長になって、そちらを本業にしてしまった人がいる。そうはなりたくないと、麻美は思う。

スーパーでカップ麺と水を買って歩き出すと、里歩から電話が来た。麻美と同じ劇団の同期で、東京に来て初めてできた友人だ。

「もしもし、里歩だけど、あのね、オーディション受かった。連ドラだよ、連ドラ」

ハイテンションで飛び跳ねるような声だ。「そのオーディション、私も受けたんだけど」と小さな声で言ってみたけれど、「真っ先に麻美に知らせたかったの。里歩、マジで嬉しくて死にそう」という大声にかき消された。勝手に死ね。相変わらず空気が読めない上に、自分のことを名前で呼ぶのが気持ち悪い。麻美は「おめでとう」と抑揚のない声で言って電話を切った。何が違うのだろう。顔もスタイルも演技力も、何ひとつ負けていない。里歩は実家暮らしで、親も芸能活動を応援しているから経済的に恵まれている。オーディションを受けるのもお金がかかる。服を買う、ジムに通う、美容院に行く。やっぱりそこか。経済力か。麻美は、左手に食い込むレジ袋の重さに泣きたくなった。

里歩のドヤ顔を見たくなくて、劇団の練習を休んだ。アパートの窓から安っぽいネオンの看板を眺めていたら母から電話が来た。

「麻美、書留届いた?」

「うん。ありがとう。電話しようと思ってたんだけど忙しくてさ」

「それで、帰ってくる?」

「はあ? 帰らないよ。舞台もあるし、バイトだって休めないもん」

麻美の強がりに、母はまるで気づかない。

「わかったよ。忙しくてもちゃんと食べるんだよ。こっちのことは気にしなくていいから」

離れて暮らすようになってから、母はいつも優しい。電話を切って無造作に置かれた現金書留の中を見ると、丁寧に折りたたまれた手紙が入っていた。お金ばかりが気になって気づかなかった。几帳面な母の文字を、少し照れくさく思いながら読んだ。

『お元気ですか。頑張り屋の麻美のことだから、ちゃんとやっていると思います。お父さんは麻美がいなくなってから、お酒の量が減りました。口では厳しいことを言っているけれど、本当は応援しているのですよ。東京で若い女性が被害に遭うニュースを見るたびに、麻美じゃないかと心配しています。お父さんのためにも、一度帰ってきませんか。余計なこととは思いますが、交通費を同封します。この帰省の切符代にしてください』

胸が何かに掴まれたように痛んだ。二千円しか残っていない。これでは到底帰れない。お母さん、ごめん。カツ丼食べちゃった。高いシャンプー買っちゃった。涙が溢れて止まらない。麻美は現金書留の封筒を握りしめて子供みたいに泣いた。

翌日から麻美は、居酒屋でアルバイトを始めた。店長をしている劇団の先輩に頼み込んで雇ってもらった。舞台の練習の合間を縫って、とにかく働いた。

二か月後、麻美は現金書留に一万円札と劇団の公演チケットを二枚入れた。役名もない小さな役だ。だけど両親に、等身大の今の自分を見てほしい。

『お金は、東京までの切符代にしてください』短いメモを添えて封をした。