阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「質屋の目」清本一麿
「いらっしゃいませ、ご用向きは?」
何度も繰り返してきた台詞。しかし、口にする度、背中に脂汗がにじむ。
「これを質に入れたいんだけど」
「はいはい、こちらの仏像ですね」
二十八の時、父から質屋を受け継いでから二年。私は綱渡りのように商売を続けている。
質屋を営むのに必要な能力とは何か? 私が思うに、それは計算の早さでも、接客の丁寧さでもない。物の真贋を見抜く能力だ。つまりは、どれだけ物を知っているか。良いもの、悪いものをどれだけ見てきたか。質草を取る目利きには、膨大な量の蓄積が必要なのだ。私にはそれがない。経験もなければ、知識もない。それなのに質屋の店主となり、値段をつけている。質草どころかお笑いグサだ。
父は物を一発で見抜く目を持っていた。その目は人をも見抜いた。
父が急逝して、なし崩し的に私が跡を継ぐことになった。父が一代で築きあげたこの店の評判も、地に落ちる日は近いだろう。
「こちらですと、この値段になります」
「へえ、そう」
客の驚いたような声に、心臓が縮む。見当違いの値をつけたのではないか。
必死で笑顔を返しながら、緊張感のもうひとつの理由である、ある女性客へ目を走らせる。品物を物色中の彼女は、時折来店するのだが、他の客とは違う雰囲気を纏っている。目が、光っているのである。彼女が店に来ると、いつも落ち着かない気分になる。それでいて彼女の目の光は、私を捕らえて離さない。向こうは知らないだろうが、いつの間にか、私の一番のひいき客になっていた。
「では、お願いします」
「ありがとうございます。保管期間は三ヶ月となりますので……」
店を早めに閉め、私は、ほど近くのある場所へやってきた。それは競合する他店である。早く言えば、敵の店。
ここの店主である、ひとりの老人。彼は、父のライバルと呼ばれた男だ。物の善し悪しを見極める目を持っている。
店内に入るなり、陳列された品から品へと目をやる。これはこの値段、これはこの値段か……。そう、この店にきた目的が、これ。私は敵のつけた値段を参考にしているのだ。父が生きていたら情けなくて泣くかもしれない。しかし父はもういない。ひとつでも多く値段を覚えて帰ろうと、私は必死である。そのときだった。右腕を掴まれ、私は思わず悲鳴をあげそうになった。
「ここで何をしている!」
男は、野太い声でそういうと、私をひきずるように別室へ連れていった。
そこにいたのは、あの老店主だった。
「店長、こいつ、ライバル店の店長ですよ」
「お前は、さがっていなさい」
老人の静かな声に、男は部屋を出ていった。
「さて……ここで何をしていたのかな?」
「申し訳ありません!」
私は開口一番謝った。そして自分のしていたことを、洗いざらいぶちまけた。もう、これがいい機会だと思った。
「私のようなものが、質屋を営んでいるのが間違いなのです。明日にも店を閉めます」
「まあ待ちなさい。……君を見ていると、私の若い頃を思い出すよ」
老人は目を細め、いった。
「それに、君の親父さんをな」
驚く私を見るその顔は、懐かしさに綻んでいた。私は少し肩の力が抜けるのを感じた。
「お気づきでしたか」
「ああ、よく似ている。特に、目が。思い出すよ……私はよく、君の親父さんの店を偵察にいったものだ」
「なんですって?」
この人が、私と同じことを? 信じられなかった。
「ほっほっ、これは内緒じゃ。だが、君の親父さんは、本物の目利きだった。私は、彼を尊敬しておった。ライバルと呼ぶ人もいたが、おこがましいことじゃ」
しばらく考え、老人はこういい放った。
「うちの店を君に任せたい」
私は耳を疑った。
「一体何を……」
うろたえる私の目を、老人が見据える。父と同じ、人間性をも見抜くその目。
「質屋に大切なのは、知識ではないよ。下火となっている今こそ、君たちのような若者が必要なんだ」
「君たち?」
老人の言葉の意味がわからないでいると、次の瞬間、部屋の扉が開いた。
「お父さん、いってきたわ。やっぱり、あそこ、店長がいいんだわ……」
夢だろうか? 私を見て、はっと立ち止まった、その女性。彼女は、目のきらきらと輝く、私の一番のひいき客――。