阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「河童の質流れ」中田聡
ある日の夕暮れ、質屋「壱六」の亭主が店の間で煙草をくゆらせていると、男の足音と共に、ペタペタという小さな足音が近付いて来るのが聞こえて来た。暖簾をくぐって入って来た中年の男と、彼に連れられて来た河童を見比べて「ほう」と鼻を鳴らした。男は金に困っていると見え、身なりこそ立派だったが、ストレスと疲労で肌色が悪かった。
それに引き換え、河童の方は肌の色艶も良く、皿も白く輝いている。健康な証拠だ。
「まさか旦那、その河童を?」
「そうだ。会社の経営がちょっとマズいことになってな、急な金が必要になった」
「15万円」
「冗談だろ? こいつはれっきとした四万十産の血統種だ。ブローカーから400万で買ったんだぞ」
質屋の亭主は、小学生くらいの身長の河童に近寄ると、屈んでその顔を覗き込んだ。河童は大きな目をまん丸く見開いて、「キュー」と鳴いた。
「こいつを? 400万で?」
「あんたなら分かるよな、こいつの価値が」
「18万」
「おいおい、ふざけるな!」
「ふざけちゃいない。二割増しにした。嫌なら他所を当たるか、ネットオークションにでも出せばいい」
「手放す気がないからここに来たんだろ。少しの間、金を貸してくれるだけでいい」
「18万で手を打ちな。相場だ」
「相場って……河童ってそんなに人気ないのか?」
「ない。妖怪の中でも地味だろ?最近じゃ化け猫の方が人気あるってご時世だ」
男は質屋の亭主に折れる気がないことを悟ると、俯いて何やら考え始めた。金勘定をしているのだろう、そう察した亭主は密かにほくそ笑んだ。質屋の査定額を聞いて、こういう反応を示す輩は珍しくない。想定していた以上に安い値を言い渡された時、失望して諦める者もいれば、僅かでも金を借りて帰る者もいる。この男は後者の方だ、亭主はそう値踏みした。
「くそっ、人の足元見やがってよ……仕方ない、今は少しでも金が欲しい」
「借りる金が少ない方が、返済も楽だろ?」
「そう……そうだな。あんたの言う通りだ」
「じゃあ、早速手続きを始めようか」
男は亭主の指示に従って書類を書き終えると、金を受け取って店を出ようとした。最後に河童の方をちらりと見た時、河童は目を潤ませて「キュー」と鳴いた。男は目を背けると、逃げるように出て行った。
河童はしばらくその場に立ち尽くして、暖簾の揺れる出口を眺めていた。
「ちょっと待ってな」
亭主は河童にそう声を掛けると、奥の間に言ってしばらく誰かと話した後に、一升瓶を手に戻ってきた。
「女房に焼き鳥を準備させている。それをつまみに一杯どうだ?」
河童は「キュウ?」と鳴いて亭主の方を向くと、一升瓶を目にして頬を緩ませ、しわがれた声を出した。
「ほほう、司牡丹かい。高知の銘酒だ」
「四万十の水じゃなくて申し訳ないな」
「気にしなさんな。四万十の水は他所の水と比べて、際立って水質が良いわけじゃない。四国の酒ならどこのでも大歓迎だ」
亭主は暖簾を下ろすと戸を閉めて、店の軒先に腰掛けた。そして戸棚から持ち出したぐい飲みを河童に手渡して日本酒を注いだ。
「胡瓜しか食わせてもらえなかっただろ?」
河童はそれを一気に飲み干すと、大きく息を吐き出した。
「くへぇ!堪んねぇ! いや、全くあの間抜け野郎、実のスカスカな特売胡瓜ばかり食わせやがって! いくら妖怪だってあんだけ栄養バランスが悪けりゃ死ぬわ」
「それにしちゃ血色がいいな」
「あの間抜け野郎の運気と精気を思い切り吸い取ってやったからな」
「それで商売でこけたのかい?」
「あの男は上っ面ばかりで、物の本質が見抜けちゃいなかったんだよ。今じゃご自慢の美人奥様の方がよっぽど妖怪じみているぜ」
河童は運ばれてきた鳥皮をついばんで「皮肉だろ?」と笑った。
「お前さんの本質も見抜けてなかったか」
「物を見る目ってのは大事だよな。それに引き換え、あんたは大したもんだ。……で、質流れしたら俺にいくら付ける気だ?」
「800万」
河童は目を丸くすると、吹き出した。
「なるほど、なるほど。さすが質屋だな」
「それが俺の仕事だ。お前さんに相応しい憑りつき先、見つけてやるよ」
「止めてくれや、人聞きの悪い」
河童は鳥皮を頬張ると、串ごと平らげた。