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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「喧嘩買います」青野透子

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第30回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「喧嘩買います」青野透子

店の備え付けの固定電話は鳴らないのに、自分の携帯はよく鳴る、と高田は思う。相手は決まって母で、四十歳を前にした独身の高田にお節介な文句を吐きにかけてくる。この日も、先日の見合い相手はどうだったかと母に責めたてられるように聞かれて、高田は仕事中だからと言葉を濁して切った。前髪に吹きかけるような上向きのため息をこぼす。視線を前方に向けるとガラス窓に貼った「質屋」という大きなシールが嘘っぽく、店内のブランド品もなんだかすべて偽物のように思えてくる。質屋を始めてまだ二年、これからだ、これからだ、と思い続けて二年。割のいい仕事とはいえないのが実状だ。

今日も人の入りもなく、午前が終わると思っていたら、日傘を差した婦人が通りかかった。質屋という字をじっくり眺めて日傘を下ろした。店の自動ドアが開くと、高田は久々の顧客に期待と不安で心臓が高鳴りながら、「いらっしゃいませ!」と大きな声で挨拶をする。いった後で、なんだか八百屋の亭主みたいだ、と思う。

「あの、なんでも買い取りますってほんとうですか?」

婦人は、顎に手をあてながら聞いてきた。

「ほんとうです。他の買い取り店とは違ってうちはほとんどの品を受け入れます」

そこで一瞬、間があった。視線を店内に向けて、並んでいる品物をみているようだったが、それでも躊躇するところがあるのか、顎に手をあてたまま、黙っている。

「あの、何かお品物でもございましたら、え、遠慮なくみせてください」

高田はしどろもどろになりながら、婦人にそういった。婦人は高田のほうをみると、ようやく決心がついたのか、肩にかけた籠バッグに手を差し入れた。引き取りカウンターの前にそれを置く。黄みがかったLED照明を受け、きらりとひかったそれはジュエリーだと高田は一瞬思ったが、婦人の手が離れるとただの割れた眼鏡であることがわかった。

「これは……」

これでは融資できない、と高田は思いながら白い手袋をして品を触り始めた。婦人の眼鏡にしては、幅が広く、フレームも男物、さらには鼻当ての部分が油で汚れている。

「主人のです」

婦人の声は冷たい響きを持っていた。さらに、取り出してきたのは割れた茶碗、破れたワイシャツ、欠けた歯、液晶の壊れたガラケー……。どういうことだと、高田は婦人のほうをみた。

「喧嘩を質入れしてほしいんです」

高田はずり落ちた眼鏡を手の甲で押し上げた。

「もう耐えられませんでした。仕事から帰ってきたら夕飯よりもゲーム、食べたら食べたで咀嚼音が気になるし、お風呂には垢が表面に浮いている。ニュースは見ない、アイドルの歌は聴く……歳月が過ぎ去れば変わると思っていました。だけど結局……私は手をだしてしまった」

そして婦人は目を伏せた。高田はどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。というよりも、これらの品にどんな値をつけたらいいのか、わからなかった。

「いくらになりますか?」

婦人は上目遣いに高田を見た。高田は身をこわばらせた。へたなことをしたら、殴られる、と思ったからだった。

「そうですねぇ……」

最初にほとんど受け入れるといいながら、拒むことはできない。婦人は身を乗りだしながら、「五百円でも、三百円でもいいんです」となにか差し迫るようにいった。なおさら出口を塞がれた気持ちになった高田は自腹を切るつもりで、「千円、二千円、といったところですかね」とてきとうな額をいった。

婦人は満足したように、品物を高田の店に質入れして、融資額を受け取ると口元に浅い皺を残して微笑み、ではまた来ます、といい残して店を去っていった。

奇妙な客だ、と高田は思った。また引き取りにくるというのか。それならいっそ、捨ててしまえばいいのに――と思ったが、それに融資した自分も自分だった。

数日後、その客は現れた。いらっしゃい、といいかけてまたしても高田はずり落ちた眼鏡を押し上げた。今度は婦人は旦那と思われる男性を連れ添ってやってきた。

「引き取りにきました」

とひっかき傷だらけの旦那はいって、ついでに棚に並べてあるバッグを指さし、あれをください、と婦人の顔を伺いながらいった。

「私たち、もう一度やり直すことにしたんです」

婦人はそういって、微笑んだが、高田の目には喧嘩後の二人のどちらが優位に立っているのかが明らかにわかってしまうのだった。