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佳作「第一防空壕 石黒みなみ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第10回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「第一防空壕 石黒みなみ」

私が生まれ育ったのは山が迫った海沿いの小さな町である。みかん栽培と漁業が主な産業だ。隣町は原発でなんとか潤っているらしい。十八で都会に出てそのまま就職、結婚した。都会育ちの妻の実家の近くに住み、定年近い今まで、町には家族で年一回戻るかどうか、という程度だった。それが近頃弱ってきた両親の様子を見に、時折一人で帰省するようになった。帰るたびにさびれていく。山の上では、この頃風力発電の白い風車が回っているが、アニメで見た核戦争後の世界のように見えて仕方がない。

よく晴れた五月のことである。父に頼まれて郵便局に行った。帰りに通った商店街は、昼間だというのにほとんどシャッターが閉まっていた。ふと思いついていつもと違う道を通ってみた。その筋に当時の田舎町としてはしゃれた喫茶店があったはずだが、と思ったが見当たらなかった。なくなったのか、それとも結局入れずじまいだったから思い違いかもしれない。引き返しかけて、見なれない細い道の角に、白字に黒い文字で「第一防空壕」と矢印とともに書かれた看板を見つけた。新しい看板だ。家からほんの十分ほどだが、防空壕の話など聞いたこともない。急ぐわけでもないので、矢印の方に歩いてみた。しばらく行くと行き止まりで、草の生えた駐車場の奥に確かに「第一防空壕」と右から横書きにされた古びた看板と鍵のかかった比較的新しい木の扉があった。扉には縦書きで次のように記されていた。

県内初の本格的な防空壕です。昭和十五年五月に起工し翌年二月に完成しました。米軍機の機銃掃射などで、この防空壕も何度か市民の退避に使われています。中を見られたい方は、下記で鍵をかりてご見学ください。  防空壕の前  小野豆腐店

昭和十五年、五月は開戦前だ。こんな田舎に空襲を予想していたのだろうか。第一、空襲の話も親から聞いたことはなかった。

豆腐屋は見当たらなかったが、「小野」という表札の家があった。入口の引き戸は半分開いている。私は声をかけた。出てきたのは白髪頭の男だった。七十くらいだろうか。

「すみません、小野豆腐店というのは……」

言い終わらないうちに男は言った。

「豆腐屋はもうやめました」

「防空壕の鍵をお借りしたいのですが」

ああ、と男は納得したように、すぐそばのフックから鍵をはずした。

「ご案内しましょう」

小野の家は三代続いた豆腐屋だそうなのだが、郊外に大型スーパーができ、最近廃業したとのことだった。私はすぐ近くに住んでいたのだが、こんなところに防空壕があるなんで知らなかった、といった。実はここに豆腐屋があったことも覚えていないのだが、それにはふれなかった。母は豆腐をどこで買っていたのだろう。小野によると前は扉もなく鍵をかけていなかったのだが、子どもたちが入り込んで遊ぶので危ないということで、自治会で管理をすることになったという。それで看板や扉が新しいのか、と納得がいった。そういえばこのあたりで友達と遊んだような気もする。防空壕というより、単なる洞穴くらいに思っていたかもしれない。

小野は鍵で扉を開けると何かスイッチを押した。ぱっと明るくなった。

「自治会で電気をひいたんです」

それでも中は暗くて湿っぽかった。壁からは水がしみ出している。足もとには水たまりがあちこちにできており、サンダル履きの私の足をじわじわと濡らし始めた。少し歩くと広場のようになっていて、奥はステージ状に一段高くなっている。軍人がこちらを向いて並ぶのだろうか。つきあたりの壁には「御真影」のためか、くぼみがつけられていた。昔見たドラマを思い出し、自分が今まさに避難しているような気になってきた。そこから左手には通路があり、トイレと洗面所も作られていた。どちらもきれいに手入れされていていつでも使えそうだ。

「百人くらい入れます」

小野は得意げに言った。

「それにしても第一というのだから、第二はあるんですか」

「そのうち」

「そのうち?」

「そのうち作ろうと思っているうちに終戦だったんじゃないんですかね」

入口まで戻ってほっとしたとたん、いきなり爆音がした。びくっとして思わず空を見上げた。飛行機はおろか雲ひとつない青空である。バイクが路地に入ってきたのだった。もう一度空を見上げた。みかん山の向こうに隣町の白い風車が回っている。小野がポケットから鍵を取り出した。いつでも避難できるようにあけたままのほうがいいのでは、とのど元まで言葉が出かかっている。昔と変わらないみかんの花の匂いが風にのってきた。