佳作「定刻 菅保夫」
背中を不愉快に押される。ゴツゴツした男の拳のような、デコボコしたリクガメの甲羅のような感じだ。刺さるほど尖ったものではない。刺さりはしないが、固いものにはかわりない。そんな不愉快極まりないものが背中を押すのである。さほど痛いわけではないが、だんだんとせり上るように押してくるのだ。
原因は何だろうか、家には私以外誰もいない。犬や猫などペットも飼っていない。ましてや虫でもない。何者かが私の家に忍び込んで奇妙なイタズラをしているわけでもないだろう。これは気のせいだ、そうでなければポルターガイストだ。使い古した敷布団の中には何も入っていないし、敷布団と私の体の間にも何もない。何もないけれど寝ていられない。卓上のデジタル時計は午前二時二十二分をさしている。またこの時間だ。私はここ半年ほどこの時間に毎夜目を覚ましているのだ。不眠の原因はいろいろあるのだろうが、なぜこの時間なのだろうか。
失業中の身、昨日面接に行った菓子工場の事務所にあった、古めかしい柱時計は二時二十二分で止まったままだった。病気なのか異常なほど肌が青白い社長は、私が時計を気にしているのに気がついて、壊れているけどもったいなくて捨てられないと教えてくれた。話ははずんで面接の時間は長くなり、これは手ごたえありと思ったが、その日の
夕方に電話で不採用を告げられた。
前に勤めていた会社は莫大な負債をかかえ、社長は自殺した。第一発見者となった同僚が写真をとっていて、うっかり見てしまったのだが。長身で筋骨逞しい社長がロープで首を吊っていた。幸いなことに社長より背景の壁にピントが合っていたので助かったが、たまたま写っていた丸く白い壁掛時計の時刻も二時二十二分だった。私は二時二十二分につきまとわれている。私を解放してくれ二時二十二分よ。
ハローワークの帰り、求人が見つからずウツウツとした気分で下ばかり見て歩く。すると道端に腕時計が落ちているのを見つけてしまった。まさか、猫の舌で心を舐められたかのようなザワつきを覚えながらその時計を拾い上げてみる。やはり時計の針は二時二十二分で止まっていた。高級ブランドのアナログ時計である。買えば相当な値段がつくはずだ。金は欲しいけれど、それを実行するほどの度胸など持ち合わせていない。都合の良いことにすぐ目の前に交番があった。
交番の中では巡査が一人、電話中で私に気がつくとそのまま少し頭を下げた。
「ハイ、二時二十二分ですね。わかりました」
そういって電話は切られた。今のセリフを聞いてもあまり驚かない。けれど、
「二時二十二分です」と思わずいってしまった。巡査はけげんな顔をしたので、あわててその時刻で止まっている腕時計を拾ったと伝える。
半年以内に持ち主が現れないと私の物になるそうだ。でもいやだ、中古品はキライなんだ。ましてや身に付ける物。それに二時二十二分だ。もしそうなったらすぐ売り飛ばそう。辺りが妙にまぶしく感じる。見上げた空に時刻が白く浮かんでいた。デジタル表記で二時二十二分だ、何だ幻覚か。自分の腕時計を見るとちょうど午後二時二十二分だった。顔を上げる間もなく突然何か黒い陰が倒れかかってきた。イタッ、倒れたのは自分だった……。
病院のベッドの上で目覚めた。三時間ほど時間が過ぎている。ナースは私の家族と連絡が取れなくて困ったそうだ、家族はいないからしょうがない。貧血だった、鉄分だけではなく全体的に栄養失調ということだ。そういえば最近あまり食事をしていない、腹が減ると水を飲んでごまかしていた。医者はちょっと入院して検査をと勧めたが、失業中で金がないからと断った。二時二十二分のことを医者に聞こうかと考えたがやめた。心の病気は強制入院させられそうで怖い。
久しぶりにちゃんと食事をしてみよう。何度か行ったことのある定食屋を目指した。食に困るほど困窮しているわけではない。レバニラ定食でも食べてみようか、食べきれない分は持ち帰りにしてもらおう。その定食屋の手前にヤセた中年女性がイスに座っていた。(占)と書かれた小さな提灯が置かれた黒い机を前にして微動だにしない。もうだいぶ暗くなってきたが、客がくるのだろうか。そんなことを考えながら前を通り過ぎようとしていたとき、不意にその占い師が私につぶやいた。小さな声だったが私の耳にははっきりと聞き取れた。
「二時二十二分でしょ……」