佳作「酔い止め 小野田 佳恵」
隣の席に座っているのが、小柄な年配の女性だったのでほっとした。出張帰りの新幹線である。
会議が早めに終わり、支社の人が兼六園に連れて行ってくれた。石垣の際に立って眺めた、一面の桜越しに広がる金沢の街並み。花見橋から見た、水底の石を撫でながら流れるせせらぎを左右から列を作ってのぞき込む満開の桜。瞼に光景がくっきりと残っている。
そんな帰途の道連れが、やたらと幅を取る汗かきな男性だとか、イヤホンの紐をたらして耳障りな音を垂れ流し続ける若者だったら台無しだと危惧していた。意識無意識に関わりなく色香をあふれ出させてしまう若い女も、情緒が散ってしまうので今日は勘弁。
シートの左右を余らせて、うつむき加減に座っている、身だしなみも清潔な、春物のコート姿の女性は、六十代か、もしかすると七十代。今このときに、最も好もしい隣人である。
軽く会釈をして座席に着くと、女性も軽く会釈を返した。不躾に見るでもなく、迷惑げに目をそらすでもなく、ちょうどいい具合にほんの少しこちらに面を見せて会釈をした。
そのわずかな暇に目に入った顔は、若い頃の美しさから強い色だけを薄めたような、欲のない美を留めていた。茶室のような人だな、と感じた。
新幹線が滑り出し、ぼくは川の表に落ちた一片の花びらになり、水の流れに身を任せる。浮きながら時間とともに運ばれてゆく。
しかし、ほどなくぼくの澄んだ幻想は中断された。
隣の女性は確かにおとなしく座っている。しかしただ一点、気になることがあった。しばしば腕時計を見るのである。そして、針を直す。ほんのささいな動きである。膝に置いた左手をそっと持ち上げ、目の少し下に持ってきて見つめる。それから竜頭を引っ張り、わずかに回して元に戻す。それだけである。ただ女性はそれをたいそう頻繁に行うのである。
日本の新幹線はとても時間に厳格である。時計を確認する必要などない。腕時計を見なくても、車内に時刻が表示される。急ぎの用があるのかもしれないが、時計を見続けたところで早く着くわけでもない。時計が壊れているのを気にしているのか。それだって、頻繁に見ても仕方がない。もしかすると精神的な病で、五分おきに時計をいじらずにはいられないのか。
気になりだすと、どうにもならない。興奮を伴った新鮮な思い出に浸るどころではない。せっかくの桜は散ってしまった。女性が腕を動かすたびに苛々する。ぼくは竜頭に手をかける女性をちらちらうかがい、舌打ちはかろうじて我慢して眉根を寄せた。
「ごめんなさい。わたし乗り物酔いをするものだから」
数回目のあからさまな睨みに対する彼女の、謝罪にしてはあまりに突飛な発言に、ぼくはとっさに応じる言葉を失った。それゆえ、ただじっと女性を見つめるという、意に反した状態で凝固しているぼくに、彼女は続けた。
「新幹線って早いでしょう? だからそのあたりにうじゃうじゃ浮かんでいる霊たちが体を通り抜けてしまってね。もちろんわたしだけにというわけではないんだけれど、わたし血圧が低いのかしら、人より血の巡りが悪いから、霊が体内をすり抜けるたびに血の流れが滞るのね。それを放っておくと、頭まで血が上りきらなくなってしまって、気持ちが悪くなってくるの。脳の貧血ね」
どんどん理解から遠ざかる。わけのわからない説明をされると不快になる。からかわれているのかと腹も立つ。それでも彼女は大変真面目な顔で弁明を続けた。
「だから時々時間を戻して、そんなに速く移動していないように装うの。自転車程度の速さだったら、霊はよけてくれるから。霊だって人間の中を通るのは苦痛なのよ。ふたつのエネルギー体が一旦重なるわけだから。でも猛スピードで来るものは、よけきれないから。あちらにとっても事故なのよ」
聞いているうちに、こちらまで気分が悪くなってきた。うじゃうじゃいるという霊たちがとめどなく体を通り抜けてゆくような気がする。ふわふわと、吐き気がする。気分は時を追って悪化する。新幹線で吐いたとなっては格好が悪い。
「針を戻すくらいで馬鹿馬鹿しい」
つぶやきながらも、すがるような思いで竜頭を引いた。出張だからと今日はめずらしく腕時計をつけてきた。長針をぐいと、十分ばかり前に戻す。
堰を切ったように新鮮な空気が肺を満たし、血がどうどうと体を巡った。脳の血流が蘇る。それからぼくは五分おきに時刻を戻した。
ぼくはまだ、彼女の隣で新幹線に座っている。どうにも東京に着かないのである。