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佳作「思い出すとき 石黒みなみ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第12回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「思い出すとき 石黒みなみ」

母の家を出ると一刻も早く遠ざかりたい気持ちでバス停に急いだ。ちょうどバスが来て飛び乗った。頭の中でさっきまで聞かされ続けた言葉がぐるぐる回る。

「お父さんは何もしてくれなかった」「男の子を産んでおけばよかった。お隣はご主人も健在で、長男夫婦と同居でうらやましい」

今、遺族年金をもらって一戸建てで暮らせているのは誰のおかげ? 私だって忙しい中様子を見に来てるじゃないの? と反論すると「女の子を大学にやるんじゃなかった、理屈ばっかりこねて」と泣きだす。親の次は夫、と常に誰かに依存してきた母のようになりたくないと仕事をしているうちに、結婚もせず定年がもう目の前である。泣きたいのはこっちだ。気分を変えようと窓の外を見て驚いた。冬空の下でたそがれてゆく景色は、全く見覚えのないものだったのだ。バスの行き先の地名を見ると知らないところだ。慌ててボタンを押して次の停留所で下りた。どうやら新しいバス路線ができ、乗りまちがえてしまったらしい。母のせいだ、と怒りながら道路の反対側に渡った。時刻表を見ると次のバスが来るまでまだまだ時間がある。どうしよう、とあたりを見回すと「アンティーク時計」と看板の出た店に気がついた。寒さしのぎと時間つぶしのために入ってみることにした。

奥に座っていた白髪の店主は、私を見ただけで声もかけてこなかったので、気が楽になった。壁には昔うちにあったような、振り子のついた柱時計や、凝った作りのハト時計がいくつもかかっていた。棚にはベルのついた目覚まし時計、店主の目の前のガラスのショーケースには腕時計が並んでいる。そのひとつを見て私は思わず声を出していた。

「これ、同じのがうちにあります」

店主は私の指差したものを見てぼそりと言った。

「同じものなんてあるわけないですよ。みんなそれぞれの時をすごしてきたんだからね」

そう言われればそうだが、確かに同じ型なのだ。それは父が初めて仕事でアメリカに行った時、母にお土産として買ってきた優雅な腕時計だった。十八金の文字盤は縦二センチ、横一センチの小さな楕円形である。ベルトは細く黒い紐を編んだもので、腕時計というよりまるでブレスレットだ。あの時母は大喜びした。忙しい父は家族と出かける機会はほとんどなく、祖父母と共に私の手を引く母の細い手首には、いつも小さな時計が光っていた。

十年ほど前、母は突然私にその時計をくれた。

「老眼でこんな文字盤見えないし、わけがわからなくなって捨てちゃうといけないから」

せっかくだから、と何度かつけてみたが、分刻みで仕事をしている身には使いにくい。第一私もすでに老眼になっていた。そのうえ、毎朝巻く必要があるし、長時間仕事をしているうちにいつのまにか止まっていて慌てたこともある。結局しまいこんだまま忘れていた。

「わけがわからなくなって捨てちゃうといけないから」

そういえば、あの頃の母は今ほど不機嫌ではなかった。

「お父さんにたまには遊園地につれて行ってよって言ったら、入口まで車をつけてあなたと私を降ろして、じゃあ夕方迎えに来るよ、って帰って行ったのよ。確かにつれては行ってくれたわね」と笑っていたこともある。

母はきっとうすうす感じていたのだ。いつかわけがわからなくなる日がくることを。今でも認知症というわけではないが、あの不機嫌さと感情の起伏の激しさはどこかたががはずれてきているせいだと気がついた。

ガラスに顔をくっつけるようにして見ていた私に、店主はその腕時計をケースから出し、小さなリューズを巻いて差し出した。耳につけると、懐かしい音がする。心なしかベルトの紐の擦り切れ具合もそっくりに思える。店主は私の手首にある電波時計に目を止めた。

「今はお使いじゃないんですか」

「ええ、毎朝出勤前に巻くのが面倒で」

「そういうひとときを持つのもいいものですよ。仕事とは別の時間にいかがですか」

そうですね、と私はうなずいた。

店を出ると外は真っ暗だった。ほどなくバスが来た、と思ったが、考え事をしていて時間を気にしなかっただけかもしれない。

家に帰って例の腕時計を出してみた。ベルトは同じところが擦り切れていてどう考えても同じものとしか思えなかった。久しぶりに巻くと、カチカチと気持ちの良い音をたてた。

あれから、また月に何度かは母のところへ行き、愚痴を聞き、怒りながら帰ることに変わりはない。ただ、必ずあの時計をしていくようになった。行き帰りのバスの中で時計を見ると、よいこともあったと思えてくる。

ところで、おかしなことに新しいバスの路線などできてはいなかったのだ。あの時計店もいくら探しても見つからないのである。