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佳作「影のある男 田辺ふみ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第14回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「影のある男 田辺ふみ」

小さな公園だった。すべり台にブランコ、それだけしか遊具がないせいか、子供もいなかった。

青年はブランコに腰をかけると、コンビニで買ったおにぎりに貪りついた。午前中の最後に回ったお客さんが長話で、昼食が遅くなってしまった。お腹を満たすと、いつもなら、元気を取り戻すところだが、今日は違った。

他の人より時間をかけ、苦労して、そして、結果は出ない。このままでは今月もノルマ達成は無理だ。営業は向いていないのかもしれない。そんなことを考えてしまう。

ただ、営業をやめて、経験のない分野で再就職なんてできるのだろうか。彼女は結婚を意識しているのに、無職になったら、プロポーズもできない。ああ、ビールが飲みたい。

そう思いながら、ペットボトルのお茶を飲んだ。

「すみません、横、座っていいですか?」

明るい声で話しかけられるまで、人がそばにいることに気がつかなかった。中年の男だった。カーディガンにジーパン姿で仕事をしている格好には見えない。

青年の返答を待たずに、男はもう一つのブランコに乗ると、揺らし始めた。

いい年をして変な男だ。

そう思ったが、青年は男から目をはなすことができなかった。

こんな幸せそうな男は見たことがない。デート中の男、営業一位になった男、子供が生まれた男、幸せな男の幸せな顔は何度でも見たことがある。その幸せな顔とはレベルが違う。幸せだけでできあがったような顔だ。

子供のように地面をけって、ブランコを楽しんでいる。その笑顔は輝くようだった。

「うらやましい」

思わず、言葉がもれてしまった。

男はブランコを止め、青年の顔を覗き込んだ。

「何がうらやましいんですか?」

「あんまり幸せそうなので」

なぜか、初対面の相手に青年は本音をしゃべっていた。

「ああ、重荷から自由になったからですよ」

男は足元を指差した。

そこには影がなかった。

青年は男の顔を凝視した。普通の人。いや、普通では考えられないほど、明るい、まさに影のない人。

「人生の陰影って言いますよね。生きれば生きるほど、影は重くなるんですよ。ほら、映画でも影のある男はかっこいいですが、必ず、人生の重荷を背負ってますもんね」

人生の重荷を背負っているつもりはないが、急に体が重くなったような気がした。

「今までは重さなんて感じたこと、なかったです」

青年は自分の影を見つめた。

「慣れてしまって気づかないんですよ。はずしたら、楽ですよ」

「でも、影がないと、怪しまれませんか?」

「案外、人は足元なんて見ていないものですよ。あなたも私に言われるまで、気づかなかったでしょう」

青年はうなずいた。

この人のように幸せになれるのなら、影はなくてもかまわないのかもしれない。

「実は影なんて、はずしたい気持ちがあれば、簡単にはずせるんですよ。後でつけることもできるし、試しにはずしてみませんか?」

ありえないと思いながら、青年は自分の影、その足元のつながっている部分に手を伸ばした。薄い紙のような手触りを感じた。少し引っ張ると簡単に足は影から離れた。立ち上がり歩いても、影はブランコの下に横たわったままだった。

「ほら、簡単でしょう」

もう、青年は男の言葉を聞いてはいなかった。

足が軽かった。体が軽かった。そして、何より心が軽かった。

自然と笑顔が浮かんだ。

男と同じような幸せな笑顔が浮かんでいることにも気付かず、青年は歩き始めた。やがて、その足取りは踊るようなスキップになった。ブランコの下には鞄を置いたままだったが、青年は振り向きもしないで、公園の外へ出て行った。

男はしばらく青年の背を見送っていたが、やがて、ブランコの下に恐る恐る、手を伸ばした。指が影に触れた瞬間、男は苦しげに顔を歪め、手を引っ込めた。それから、もう一度、思い切ったように手を伸ばすと、影を引き寄せ、自分の足元につけた。その瞬間、影は形を青年の姿から男の姿に変えた。

男は立ち上がった。幸せな笑顔はもうなかった。男は背を丸め、足を引きずるように歩き始めた。