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佳作「タイムカプセルコール 栗太郎」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第15回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「タイムカプセルコール 栗太郎」

最後の弔問客を送り出した母が、ふっと吐息をついた。父は長患いだったから、私も母も、それなりに覚悟をしていた。少なくとも今は、悲しみより疲労が勝っている。

「お茶を入れるね」

私は丁寧に、母の好きな銘柄の紅茶を入れた。居間に運ぶと、母は、ぼんやりと飾り棚を見ていた。飾り棚に置かれた黒い電話機を。

今では滅多に見られないダイヤル式の黒電話だ。とうに壊れているのだが、父はそれを大切にしていた。珍しく物ではあるが骨董品として値がつくほどの物でもないのに。

「お父さんから、電話がかかってくるのよ」

母の言葉に、私はお盆を取り落としかけた。口調はしっかりしているが、悲しみのあまり普通の状態ではないのかもしれない。

私があんまりに悲壮な顔をしたのか、意外にも母はコロコロと笑った。

「いやね、おかしくなったわけじゃないわよ」

「だって……」

「あなた、万博の時、未来の自分に手紙を出したでしょう。タイムカプセル郵便」

確かに、そんなイベントがあった。会場で購入した葉書に二十年後の自分にあてたメッセージをしたためて備え付けのポストに投函したのだ。

「ああ、覚えてる。あれ、ちゃんと届いたんだよね」

「お父さんは手紙でなく、電話で未来にメッセージを送るって言ったのよ」

「……思い出した」

あれは我が家に、ピカピカの電話機がやって来た日のことだ。

「葉子、知っているか? 新しい電話機には魔法がかかっているんだ」

「魔法?」

「そう。一番はじめの一回だけ、未来にかけることができるんだ」

父は大真面目に続けた。

「お父さんは、三十年後のお母さんにかけることにする」

照れくさいからと、母を部屋から追い出して、父は私を膝に乗せると、ダイヤルを回させてくれた。父がメモを手に読み上げたのは、開通したばかりの自宅の電話番号だった。

常識で考えると繋がる筈はないのだが、あの日、その電話は繋がったのだ。

「はい、高梨でございます」

受話器を通した母の声は、いつも少し違い、震えていた。私は黙って父に受話器を渡した。父は私を膝に乗せたまま、電話の相手と話し始めた。大した会話はなかったと思う。

「元気か?」とか、「俺は真面目に働いているだろうな」とか、そんなことを、照れくさそうに父はしゃべっていた。

「あったね、そんなこと」

母は電話が鳴るのは今夜だと言う。日付を忘れないように父は電話機にメモを貼り付けていたのだと。電話機を持ち上げてみると、確かにそこには色あせたメモが貼られていた。

「今は固定電話を持たない人も多いけれど、あの頃は家に固定電話があるのは信用だったのよ。そういう意味で、お父さんの決意表明だったのね」

若い頃、父はミュージシャン志望だった。周囲からは結婚を反対されて駆け落ち同然だったのだ。私が生まれても落ち着かなかった父が生き方を変えたのは、無理をして働いた母が倒れた時だった。

私は小学校にあがる前だったけれど、すっ飛んできた祖父母の前で土下座した父の姿を、はっきりと覚えている。

父は町の小さな電気屋に就職した。修理の技術があるわけでもなく、最初は営業からだ。

「電話機はノルマで買わされたんでしょ」

「確かに、当時の我が家には贅沢な買い物だったけれど、お父さんの決意表明だとわかったから、要らないなんて言えなかったのよ」

母は同じ言葉を口にした。決意表明、と。

「どういうこと?」

「電話が繋がるってことは、番号が変わっていないということでしょう? 三十年先も同じ土地で暮らしている、そういう誓いだったのね」

私が知っている父は、コツコツと働き妻子を養い、派手な遊びとは無縁の人だった。むしろ面白みのないほど真面目で、今に満足している人だった。でも本当は、捨てたい時も、旅立ちたい時もあった人なのだ。

ジリリン。ふいに、鳴らない筈の電話が鳴った。立ちすくむ母の背を、私はそっと押した。

ジリリン、ジリリン。呼び出し音を数え、切れてしまうのではないかと私が思った直前に、母の手が受話器を取り上げた。

「はい、高梨でございます」

あの日、耳にした母の声だ。微かに震えている。溢れる想いを抑えきれずに。

時を越えて話し始めた母を残して、私は静かに扉を閉めた。