佳作「風が鳴らす鈴の音で アカツキサトシ」
駅前をぶらぶらしてると、三丁目の婆さんが銀行のATMコーナーから出てきた。どうやら買い物帰りらしい。スーパーのんき屋のビニール袋を片手にぶら下げている。婆さんは、そのビニール袋に銀行名が書かれた分厚い封筒を入れた。俺は足音を忍ばせて、婆さんに気付かれないように後をつける。婆さんは全く気付いていない。そして実をいうと俺は以前、何度かあの婆さんの家に忍び込んだことがある。
梅雨も終わりに近づいたある日の夕暮れ時。一年中ぶら下がっていた風鈴の音が、雨音と心地よいハーモニーを奏でていた。
仲の良かった両親は事故で二人一緒にいなくなり(そこまで仲良くしなくてもいいのに)、兄弟姉妹もおらず、祖父が遺してくれたこの家で、私は祖母と慎ましく二人で暮らしている。引きこもりで、人見知りで、友達もいない。正確にいうと、ちょっと前まで友達はいたんだけれど、そいつは突然姿を消した。何故かは分からない。
そんな私は、人生のほとんどをこの家の中で過ごしている。本を読んだり、空想したり、それを物語にして書いたり。テレビは見ない。音楽はたまに聴いて、映画はよく観る。それでも生きていけるのは、私に良くしてくれる祖母と、私の書く物語を面白いといって、それにお金を出して読んでくれる酔狂な人達が世の中にはいるからだ。そんな方々の期待に応えるため、今日もせっせと物語を書いている。
玄関の引き戸が開く音がした。祖母の「ただいま」の声が聞こえる。居間を出て「お帰り」と玄関に向かうと、祖母がスーパーのんき屋のビニール袋を置いて、靴を脱いでいる最中だった。
私がビニール袋を手に取ると、「その袋に銀行の封筒が入ってるから、台所の戸棚のいつもの所に入れておいてね」と、祖母が言った。私は「うん」と頷き、いわれた通りに封筒(と、お菓子)は戸棚にしまい、その他の食べ物は冷蔵庫に入れた。袋の中身で、今日の夕食は豚汁とメザシと冷奴だと予想を立てる。私も祖母も日本酒が好きなので、今日はたまらない夕食になりそうだ。
婆さんは家に入っていった。そこはやはり、以前何度か忍び込んだ家だった。引越しはしていないようだ。ということは……。おっと、ヨダレが垂れるところだったぜ。以前と同じなら、もう一人、若い女があの家にいるはずだ。しかし、その若い女はなんの問題もない。何故ならその女は、すでに手なずけているからだ。長い間会っていないが、さしたる問題にはならないだろう。
俺は塀を越え、庭に入った。木陰に隠れて家の中の様子を注意深く伺う。目指すは台所だ。前に忍び込んだ時は、その台所に通じる勝手口が空いていたので、そちらの方へ回ってみる。しかし、勝手口は閉められていた。しかたがない、他に侵入できそうな所がないか探すとするか。
祖母が台所で夕食の準備をしている間、私は居間で本を読んでいた。吾輩という一人称を使う猫の話だ。祖母は、豚汁の材料を鍋に入れ、コンロに火をつけた。七輪を出し、メザシを数匹その上に乗せる。いい匂いだ。居間の窓を広めに開けて、風通しを良くすると風鈴の音が涼やかになった。その音とメザシの匂いで、少し懐かしい気持ちになった。
鈴の音が聞こえたので、そちらの方へ行ってみた。すると、居間の窓が開け放たれているではないか。中の様子を伺う。居間には誰もいない。俺はそこから難なく家の中に忍び込む。台所には、こちらに背を向けて料理をしている婆さんが一人。音を立てずに台所に入る。途中、婆さんが振り向きそうになったので、俺は慌てて身を潜められる場所を探したが、どこにもない。婆さんが振り向かなかったので事なきを得たが、肝を冷やした。
そして、俺は目的の物を手に入れ、台所から居間へと向かった。
風が吹き、鈴の音が聞こえた。見上げるとひらひらと揺れる紙のついた鈴が、軒下にぶら下がっていた。
「あっ!」トイレから帰ってくると、思わず声が出た。居間には姿を消していた友達がいた。風に揺れる風鈴の短冊に、必死に手を伸ばしている。
そいつは私に気付いて、ビクッとして固まり、ハッとした顔で私を見た。祖母も何事かと料理の手を止め、居間に来る。
そいつは観念したように、くわえていたメザシを畳の上に置き、「にゃあ」と一声、懐かしい声で鳴いた。