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佳作「死神避け 中田聡」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第16回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「死神避け 中田聡」

離れの縁側で煙草を吹かしていると、庭先に、ひどくくたびれた男が現れた。

「お願いがあるのですが、」

男は弱々しい声で云った。私は、煙草を灰皿に置いて男を見上げた。

「実はあの、風鈴を一つ、取っていただきたいのであります」

離れの軒先の四遇に、銅製の風鈴が吊るしてあった。魔除けだそうだ。この離れには、八十過ぎの私の祖父が寝たきりで暮らしていた。私は、昼間出払っている家族の代わりに、介護をしているのだった。

男は、立ったまま腰を屈め、頭を低く下げて、「実は私、こういう者でございまして、」と云いながら、両手で名刺を差し出してきた。

『死神株式会社、営業部、阿野夜 育三』

怪訝そうな目つきで睨むと、男は、メガネの中で忙しなく瞬きしながら云った。

「実は、こちらには、すでに寿命が尽きておられるお方がいらっしゃるんですがね、お邸の四遇が風鈴でふさがれておりますので、私共が入り込めないでいるのです」

「死神が入ったら、死んじゃうジャンか。そりゃ困る」

私は、つい先月まで勤めていた東京の会社でリストラされ、祖父の年金をあてにして暮らしている身だった。また、あわよくば、介護の報酬として、遺産の一部を分けてもらおうという魂胆もあった。私は孫だから、本来取り分はないだが、私に甘かった祖父を世話することで、祖父から直に遺産を分けてもらおうと考えていた。寝たきりで、手足も口も不自由になった祖父が、また元気になって、私のことを思い出して、遺書を書き換えてくれないものか。これが私の狙いだ。だから、今死なれては困るのだ。

「いろいろご事情はおありでしょうが、今月、私も苦しいのです。近頃のお年寄りは、なかなか死ななくなりましたもので、さっぱり営業成績が上がらなくて。このまま月末まで成果が上がらなければ、いよいよリストラされてしまうのです」

私も安月給のサラリーマンだったから、彼の気持ちはよく分かる。だが、彼の成績のために、大切な祖父の命を持って行かれるというのは承服しがたい。

「あんたの都合で、死期を早めるわけにはいかないよ。大体、死神なら、人の死に時くらい分かっているでしょう」

「あなたは、死神を誤解なすっている。我々が、人の生き死にを支配しているわけではないのです。いうなれば、我々の仕事は、死出の旅の添乗員とでも申しましょうか」

男の語るところによると、死神は、死者をあの世にエスコートする係だそうだ。死なない人間はいない。そして、死んだ人の魂は、この世を離れてあの世へ旅立つ。だが、人はたいてい、あの世への行き方を知らないものだ。だから、死神があの世へ導く、というわけだ。上手に死神と出会えた人は、無事に連れて行ってもらえるが、死神と会えなかった人の魂は、一人であの世を目指すか、最悪の場合、悪霊となってこの世にさまようことになる。

私は妙に納得してしまった。大切な仕事じゃないか。

「お話は分かりましたけれども、もう少し、待つことはできないものですかね。ウチにも事情があるわけで。と云うのも、今、祖父に死なれたら困るんです。祖父の、遺言に些か問題がありまして」

「はい、はい。そういうご事情は、どのご家庭でもあるものです。私共は株式会社ですから、ご本人ばかりでなく、ご遺族の方もご納得いただけるよう、万事円満に解決することができます」

私は身を乗り出した。

「すると例えば、祖父の遺言を書き換えるようなことも、可能ですか」

「ま、書き換えというのは些か問題がありますが、おじい様がお気づきになられて、改めて書き直すという段取りなら、すぐにでも取り計らうことができます」

「そりゃ、助かる」

願ったりかなったりとはこのことだ。祖父が、少しの間でも息を吹き返して、遺産の私の取り分について確約してくれたら。そして、その後すぐに、旅立ってくれたら。

「如何でしょう?」

死神セールスマンは、上目遣いで私を見た。私は、祖父が、遺言のやり直しができるまで、死なないでいることを何度も念押しした。そして、軒先の風鈴を一つ外した。

男は、ゆっくりと縁側に上がってきて、私の腕を取った。

「では、参りましょうか」

寿命が来ていたのは、私だったのだ。