佳作「ぼくの恋 あおやまさつき」
またしても振られてしまった。
今度は四十代のひとだった。近づいてきたのは相手からで、積極的なひとだった。もちろんぼくも、まんざらではなかった。しかしたった一回、頬を寄せてもらっただけ。それでもう、ため息まじりに「やっぱり、だめだわ」と言われたのだ。ぼくは、こんなふうに振られてばかりだ。青田さんというこの店のオーナーはいつもぼくを褒めてくれるのに、なぜいつもこうなんだろう。ぼくはだんだん自分に自信がなくなってきた。
ぼくは細身だ。スタイルがいい。そして色んな素材を着こなしながらも、シンプルに洗練させる工夫をしている。少なくとも向かいにいる山田よりはおしゃれだと思う。なぜなら山田は、とにかくゴールドを使える自分は格好いい、と持ち物で表現しているような男なのだ。ぼくに言わせれば、単純に成金主義で趣味が悪いと思う。しかし、なぜか女性から人気があるのはぼくではなく、山田なのだ。専業主婦からキャリアの女性に至るまで、この店に入るなり山田に目を止めるし、山田目当てでここに通う女性がいることも確かだ。
いや、ぼくは山田の話をしたいわけではない。ぼくは、単純にもっと女性に好かれたいのだ。それに足りないものはなにか、本当はわかっている。度胸だ。ぼくはいつもびくびくしていて、相手の目を見る度胸がない。相手と目があうと、つい目を逸らしてしまうのだ。おそらく本当の自分を見られるのが怖いのだ。そして見られていることに気づくと、つい目を伏せてしまう。ぼくを評価したその結果を、相手の表情に見るのが怖いのだ。がっかりした顔、ばかにしたような顔、無表情。何よりも情けないのは、相手はぼくに関心がないのに、自分だけ相手の視線を追い求めて、相手の肯定的な評価を必死に探している自分に気づいた時だ。そして、自分の周りにいる男ばかりがちやほやされている気がして、妬んでいるのだ。妬むことの苦しさは、そんな自分の器の小ささと向き合わなくてはならないことだ。スタイルがよかろうと、おしゃれであろうと、ぼくは器が小さい。どんなに虚勢を張ってもメッキは剥がれる。そんなことはわかっているのに・・・。
いつものようにぼくがひとりごちていたら、いつの間にか一人の女性が来店して、カウンターで青田さんと話をしていた。長い黒髪の後ろ姿の背中はすっと伸びている。肩甲骨が浮き出て、背中の肉の薄さを想像させた。紺色のタイトスカートと紺色のハイヒールの間には、適度に筋肉のついた長い脚が伸びている。顔を見る前から美しいひとであることを確信しながら、青田さんとそのひとの会話に耳を傾けた。
しおりさんというその女性は三十代。高校で美術の先生をしているそうだ。もともとは青田さんのゴルフ仲間だったとか。そして、最近になってずっと付き合っていたひとと別れたらしい。そんなしおりさんが新しい出会いを求めて、この店にやってきたというわけだ。
青田さんが立ち上がり、店の中を案内する。ぼくはしおりさんを見た。遠目には二十代前半と思える華奢さがあったが、近くで見ると、長い間自分との会話を続けてきたことを思わせる女性であった。瞳は理知的な濃い色をしながらも、ユーモアと深い悲しみを同時に抱えているようだった。ぼくはその瞳から目を離すことができなくなった。そして、店内を歩いてきたしおりさんがぼくを見た。目が合うなり、ゆっくりと黙ってぼくの頭から爪先までをくまなく見た。いつもならば脅威を感じるようなその見方も、しおりさんの視線の配りかたは芸術家のそれだった。ぼくのひとつひとつのパーツが、あるべきところにちゃんとあるのかを、丁寧に確かめているようであった。そして、ぼくのパーツの置き所や姿が間違っていないことを、しおりさんの反応によってぼくは知ったのだった。
「すてきね」。ひとこと、しおりさんが言った。ぼくに向かって。ぼくは、ぼくは、身を硬くしているしかなかった。気づけば息も止まっていた。もしかしたら心臓もとまっていたのかもしれない。
しおりさんのその言葉を聞き逃さなかった青田さんがすかさず寄ってきて、言った。「そう、おすすめよ。フレームは細身だけど、スチールと木材を組み合わせているところがおしゃれなの。今までのめがねよりも洗練された印象になると思うわよ」。しおりさんは、ぼくを見たままうなずいて、ぼくに手を伸ばした。
ぼくにも、今度こそ恋人ができるかもしれない。祈るような思いで、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。