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選外佳作「あの人の鍋 いとうりん」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第20回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「あの人の鍋 いとうりん」

つきあって二か月目の今日、初めて彰さんの家に招かれた。彰さんとは婚活パーティで出会った。女性ばかりの職場で婚期を逃した私と、三年前に妻を亡くし、一児の父である彰さんは、出会ってすぐに結婚を意識した。

時間をかけて整えた髪を、木枯らし一号が容赦なく崩す。乱れた髪で、葱や豆腐を抱えた自分の姿がやけに可笑しい。

「きれいに片付いているわ。もっと散らかってるかと思った」

「麻美ちゃんが来るから、優奈と一緒に掃除したんだ。なっ、優奈」

彰さんが一人娘の頭を撫でると、優奈は得意げな顔で笑った。五歳の子どもがいることに、戸惑いがないと言えば嘘になるが、幸い優奈は可愛くて私にとても懐いてくれた。

「麻美ちゃんの手料理が食べられるなんて楽しみだな」

「手料理っていっても鍋だもん。材料切ってぶっこむだけよ」

「ぶっこむ?」と優奈が小動物みたいに首を傾げた。

「やばい。言葉遣いも気をつけなきゃね」

「麻美ちゃん、〝やばい〟もアウトでしょ」

彰さんが笑って、優奈も笑った。

「彰さん、土鍋ある?」

「ああ」と彰さんが棚の奥から土鍋を出した。朱色の小さな花がちりばめられた蓋が可愛い。

「いい柄ね。おしゃれだわ」

「しばらく使ってないから洗わないと」

土鍋を受け取って流し台に乗せようとしたとき、優奈が突然「ママ」と言った。

「ん? どうした? 優奈」

「それはママのお鍋なの。ママが大切にしていたお鍋なの。パパとの思い出がたくさんあるお鍋なの」

彰さんと私は、思わず顔を見合わせた。彰さんの妻が亡くなったとき、優奈はまだ二歳だ。母親のことも殆ど憶えていないのに、そんなことを知るはずがない。

「驚いたな。でも、優奈の言うとおりだ」

彰さんが懐かしそうに目を細めた。

「僕も妻も、早くに両親を亡くしていてね、家族で鍋が囲めるのが嬉しくてさ、結婚してすぐにこの土鍋を買ったんだ」

見たこともない寂し気な顔で、彰さんは土鍋を愛おしそうに見た。仏壇で見た妻の写真と、目の前の優奈の顔が重なる。優奈の中で、母親は生きている。そして亡き妻との思い出を懐かしそうに語る彰さんの中にも、彼女は消えずに生きている。

私は何だかいたたまれなくなり、乱暴に土鍋を置いた。

「今日は帰るわ」

鞄だけをつかんで外へ出た。北風が再び髪を乱すが、直す気力もない。

彰さんが慌てて後を追ってきた。

「麻美ちゃん、ごめん。無神経だったよ。今から新しい土鍋を買いに行こう」

優しく、そして強く体を包まれて、私はポロポロ涙を流した。わかっていたはずだ。この家に来たら、亡き妻の残骸がいくつもいくつもあることなど、最初からわかっていた。私は自分の心の狭さと我儘を認め、彰さんに促されて家に戻った。玄関先で、優奈が大きな瞳を潤ませていた。

「おばちゃん、ごめんなさい。本当は鍋のことなんて知らないの。パパがおばちゃんの話ばかりするから、ちょっといじわるをしたの」

わずか五歳の子どもに、そんな嫉妬心があることに驚きながら、優奈がとても愛おしく感じた。

「優奈ちゃんもパパが好きなんだね。私もパパが大好きよ。同じ人が好きなんだから、きっと私たち、上手くやれるよ」

そう言って髪を撫でると、優奈は安心したように頷いた。

「でもね、優奈ちゃん、今度おばちゃんって言ったら怒るよ」

冗談めかして言うと、「だっておばちゃんだもん」と、優奈が笑って反撃した。彰さんも「そうだよな」などと楽しそうに言いながら、慌てて逃げる真似をした。私たちはきっと素敵な家族になれる。時間を重ねて、少しずつ本当の家族なろう。

葱や白菜を切って鍋に入れていく私を、優奈がじっと見ている。

「もうすぐできるからね」

「うん」と言った優奈の視線が外れた。優奈の瞳は私を通り越し、白い壁を見つめている。優奈のあどけない声が、白い壁に問いかける。

「これでいいんでしょう、ママ」

背中を冷たいものが走る。振り向いても誰もいない。優奈にだけ見えるその人は、どんな顔で私を見ているのだろう。

「大切に使ってね。そのお鍋」

やけに大人びた声で優奈が言う。私は思わず「はい」と答えた。風がふっと目の前を通り過ぎ、優奈が「バイバイ」と手を振った。