選外佳作「トウモロコシ 沖義裕」
「すいません、ここいいですか」
新青森駅を過ぎた北海道新幹線の車内で、舞衣子は少年から話しかけられた。
「いいけど指定席よ。席はここなの」
「はい。大丈夫です」
少年は舞衣子の隣に座った。いがぐり頭の少年になぜか心が和んだ。いつもなら話しかけたのだろうが、しかし今の舞衣子はそんな気にはならなかった。
北海道は舞衣子の夫、涼太との新婚旅行の地で、何度も訪れているのだが、交通手段はいつも飛行機を利用し、鉄道好きの涼太には、それが不満だった。北斗星やカシオペアの個室寝台券を何度も取ろうとしたのだが、カレンダーどおりにすら休めないことがある二人にとっては、かなわぬ夢であった。
そして、涼太が定年を迎え、新幹線が新函館北斗まで開通し、ついに念願がかなうと思った矢先、涼太が帰らぬ人となってしまったのだ。舞衣子はその事実を受け入れることができず、告別式で涙一つ、こぼさなかった。失くしてみて、器用ではないが誠実な人柄で、舞衣子にはピッタリの夫であったということが身に迫ってきた。
しばらくすると長いトンネルに入った。舞衣子は、きっと青函トンネルだと思った。
「涼太さん、いよいよ北海道ですよ」
舞衣子は心の中で思った。涼太の写真を持ってきており、外を見せてやろうかと思ったが、涙があふれそうなのでやめた。たとえ少年でも人に涙を見られるのは嫌だった。
かわりばえしない青函トンネルの車窓であったが、舞衣子には楽しい風景であった。光の列に見入っていると、急に隣の少年が声をかけてきた。
「トウモロコシ、いかがですか」
声をかけられたことにも、その内容にもびっくりした。
「いいえ、お腹いっぱいだから。どうもありがとう」
少年を傷つけてはいけないと思い、出来るだけ言葉を選んで、やんわりと断った。けれど少年はなおもトウモロコシを差し出し続け、舞衣子はその一途さにおびえ、戸惑いながらトウモロコシを受け取った。
しかし袋を開けると、醤油の香ばしい香りが立ちのぼり、舞衣子は思わず笑顔がこぼれた。トウモロコシを口にすると、甘さが広がり、お腹いっぱいといった手前、ばつが悪かったが、もう一口、かぶりついた。
すると、ふいに記憶がよみがえってきた。新婚旅行でもトウモロコシを食べ、そしてそのとき、見知らぬ人に撮ってもらった写真の涼太の姿が、ひょっとこのような口をしていて、とても可笑しかった。舞衣子が大笑いすると、涼太が恥ずかしがって、その写真をどこかにやってしまったため、アルバムに残っておらず、忘れていたのだった。
新婚旅行は楽しかった。まだ、これから始まる生活の実感がなく、心の底からのんびりとできた旅であった。お金がなく、たいしたところには泊まれなかったが、涼太と二人でいるだけで満足だった。
あっという間にトウモロコシを食べ終わると、待ちかねていたように少年が聞いた。
「おいしかった?」
「ええ、ありがとう」
「捨てて来るから、ちょうだい」
少年は手を伸ばした。悪いとは思いつつ、その言葉に甘えることにした。
「驚かせてごめん。これでも驚かさないようにしたんだけど。頑張ってね」
少年はそう言って席を立った。舞衣子は、そんなに怯えた顔をしていたのかと少し後悔し、罪滅ぼしに、戻ってきたらバックの中のチョコレートをあげようと思った。
しかし待てど暮らせど、少年は帰ってこなかった。どうしたのかしらと思っていると、急に車窓が明るくなった。北海道に上陸したのだ。
舞衣子が感激して、写真に手を当てたとき、ふと疑問が頭をよぎった。今、季節は四月で、トウモロコシの収穫にはまだ早い。いくら冷凍技術が進んだと言え、あれほど、おいしいトウモロコシがこの時期にあるのだろうか。そもそもトウモロコシをくれる少年というのもやっぱり変だ。
JR職員がやってきたので、もしかしたらと思いながら聞いてみた。
「すいません、ここの席は誰か座りますか」
「いえ、座りません。空席です」
北海道新幹線「はやぶさ」は全席指定だ。そして、涼太も小さいころいがぐり頭だったことを思い出したとき、少年が最後に残した言葉の本当の意味が分かったような気がした。
「涼太さん、本当に不器用なんだから」
そう言いながら、舞衣子が涙をぬぐったとき、ほんのりと醤油の香りが漂った。