佳作「兄弟弟子 塚本剛一」
朝食の片付けが終わり、大して広い家ではないが、今日はどこを重点的に掃除するかと、弟弟子の小鹿と算段しているうち、
「鹿之助、小鹿、稽古しようか」
と、居間から師匠・鹿團治の声がかかった。
とたんに俺は気が重くなったが、小鹿をみると何事もない風だった。俺たちは通いの内弟子修行中である。自前の手ぬぐいと扇子を持って部屋へ入った。師匠はちぢみのシャツとステテコの恰好で座布団に正座していた。
あの頃の師匠 落語家・山野家鹿團治はまだそれほど売れてもおらず、稽古を付けてくれる時間も十分にあり、また若かった。恰好は気にしなかったが、噺自体は大師匠の型をまずは教えるということで厳格であった。師匠のまえにならんで座ると、深々とおじぎをした。
「おとついからの続き、喜六と清八が源助のたなをたずねるところからや。復習ってきたやろな、まずは鹿之助やってみ」
(なんでいつも俺からやねん)
そうは思ったが、俺は小鹿より入門が一か月とはいえ早い兄弟子だったのでそれも仕方がない。額と背中に汗が吹きでるのがわかった。
俺が話しだすや師匠は眉間にしわを寄せ、やがて目を閉じた。しばらくしてもう辛抱できへんがなという感じでいった。
「ほんま、呑みこみの悪い、上と下がぐちゃぐちゃや。台詞も遣えてばかりやないか。」もうえぇ次、小鹿、やってみ」
「そしたらお願いします。『源さん、こんちわー』 『源さん、いてはりまっかー』 」
噺がすすむうちに、師匠の機嫌がなおっていくのがわかった。
「よし。小鹿それでええ、とくになおすところはない。そしたら次のところ三回話すで、ええか。鹿之助、お前は今のところもう一度復習い直してこい」
(ああ、抜かれた。いや、おいていかれんや)
体から力が抜けてゆき、汗も気にならなくなった。これまでは、稽古のときは小鹿と同席はしても別々の噺を習い、ならんで師匠の前に座ることはなかったのだが、今回は同じ噺を同時に習うようにいわれていた。
(小鹿のほうを先に進めるで、納得したやろ、ということなんや)
師匠の家からの帰り道、俺と小鹿は最寄り駅まで歩いていた。
「なあ、小鹿。お前にはかなわんわ」
俺は小鹿の気持ちを探るようにいった。
「なにがです? 兄さん」
「一か月だけ早いだけやから、鹿之助と呼んでええていってるやん。お前の噺のことやがな。なんていうか端正でほんま師匠譲りや」
兄弟子・弟弟子の仕来りを解消するようなことをいうほど、そのとき俺の気持ちは弱っていた。
「そうかなあ。僕は兄さんの勢いのある口調が好きですけど」
「演じてるわけやない。そう話すのは性分やねん。それで勢い余って台詞も咬むねん」
俺たちは落語に対する思いを語り合った。年は小鹿のほうが二歳うえなので、いうことが大人びて感じ、気後れがした。帰る方向が違うので、いつもどおり駅で別れた。
それから二十五年がたった。三年前には師匠は亡くなっている。その間、結婚をして子供ができ、弟子もとった。襲名もした。
「鹿之助、うちの一門の名で鷹蔵というのがある。戦前爆笑落語で一世を風靡した人や。お前の芸風とも近いと思う。弟子に恵まれず、名跡が途絶えたままになってる。わしはこの名前を復活させたいんや、鹿蔵の兄貴にも了解を取ってる。どうや、継いでみーへんか?」
師匠にそういわれれば、断る理由などなかった。ただ鹿團治の名は将来小鹿に継がせるつもりだとわかった。
このことを小鹿へ伝えると、師匠の考えを推しはかった様子で、
「師匠は兄さんのことが好きやから」
と、呟いた。
緞帳が上がった。今日は小鹿の鹿團治襲名披露の日である。横に並んだ各師匠蓮の祝いの口上が続く。真ん中の小鹿は深く頭をさげたままである。落語の襲名披露では本人は挨拶しないのが仕来りだ。
(俺の襲名披露のとき小鹿は隣にいた。今日も立場は逆だが隣にいる)
並んで同じ噺を稽古させられたあの日のことがよみがえった。咄嗟に、用意していた口上はよしてそのときのことを話してみようと思った。限られた時間の中で俺はどうしたら笑いがとれるか、俺は新しい口上をむねのうちで繰りだしていた。