佳作「隣にある人 栗太郎」
「ね、どうだった? 載っていた?」
「まだ開けてないわよ。恵理子ちゃんを、待っていたの。早く読みましょ」
月に一度、ホームに入居している、おばあちゃんに会いに来る。電車で二時間はちょっと遠いけれど、おばあちゃんが定期購読している雑誌を二人で読むためだ。
封筒から雑誌を取り出して、真っ先に目を通すのは投稿ページだ。読者が投稿した短歌のうち、十篇ほどが掲載されるのだ。
「あっ、載ってる」
佳作の欄に私が詠んだ短歌と「丸山エリカ」という筆名が印刷されていた。
「スズシコちゃんも選ばれているよ。ほら、また隣」
「あらあら、凄いわねえ」
おばあちゃんがニコニコと湯飲みを運んできた。並んで雑誌をのぞきこむ。
「それにしても、恵理子ちゃんが、三年で、こんなに上手になるなんてねえ」
短歌を始めたのは三年前、中学生の時だった。面会に来た時、たまたま、おばあちゃんが読んでいた雑誌を見たのだ。
「おばあちゃん、短歌もペンネームを使っていいの? だったら、私もやってみたい」
最初は、別の名前の自分になってみたかっただけだった。気楽に綴った三十一文字を投稿して二ヵ月後、ワクワクと発表号を見たけれど、丸山エリカの名前はそこになかった。代わりに私の目を引いたのは、一つの名前。
「妹尾涼子」
○子という古風な名前なのに、綺麗な字面で、しかも、おばあちゃんが言ったから。
「スズシコと読むのよ」
「スズシコ? 素敵。この人、先月も佳作だったね。凄いな。どんな子かな?」
雑誌には居住地も年齢も載っていなかったから、私は涼子ちゃんが同年代の女の子と決めつけて、ライバル認定をした。
「基礎を勉強しないと、入選はできませんよ」
おばあちゃんの手ほどきを受け始めて半年後、初めて佳作に入った。掲載はもちろん嬉しかったけれど、それ以上に嬉しかったのは、涼子ちゃんの名前が隣にあったことだ。しかも、私の歌の方が上位だったのだ。
それですっかり短歌の投稿に夢中になって、今では、投稿欄の常連だ。
「今回は、涼子ちゃんの方が上か」
私は佳作の一席だったけれど、涼子ちゃんはその上である秀逸だった。この差は大きい。
「短歌は勝ち負けではないのよ」
おばあちゃんが静かに言った。
「うん、わかってる」
涼子ちゃんに負けたくなくて、我武者羅に投稿した時もある。涼子ちゃんの真似をしたり、全く反対のことをしたり。
もう短歌なんか止めてしまおうと、何度も思った。その度に、私を引き止めたのは、涼子ちゃんの存在だった。
「涼子ちゃんがいるから、短歌は楽しい」
「それなら、良いのだけど」
おばあちゃんが優しく笑った。
おばあちゃんが亡くなったのは三月のはじめだった。しばらくたってから、私はお母さんと一緒にホームに向かった。おばあちゃんの私物を引き取るためだ。
「これは、雑誌かしら。定期購読もストップしなくちゃね」
「それは私がやっておく」
私はお母さんから封筒を受け取った。おばあちゃんと二人で読む筈だった雑誌だ。
そう言えば、今月号の投稿結果はどうだったんだろう?
雑誌は書店でも入手できるのに、今までそうしたことがなかった。おばあちゃんと並んで、一冊の雑誌を読む時間こそが楽しかったのだ。
封筒を開けると、同じ雑誌が二冊入っていた。一冊は定期購読の分で、もう一冊は?
ひらりと、舞い落ちたのは掲載通知だった。
『貴殿の作品が特選に選ばれたので掲載誌を謹呈します』
「ね、お母さん」
私は震える手でページをめくった。
「おばあちゃんの旧姓って、なんて言うの?」
「妹尾よ。妹尾鈴、可愛い名前よね」
投稿ページに、すっかり馴染みとなったその名はあった。特選、妹尾涼子。その名を「スズシコ」と読んだのは、おばあちゃんだった。
「おばちゃん」
涼子ちゃんの名を指先で触れた。隣に並ぶ自身の歌が、名が、涙に滲む。
少しも気づかなかったけれど。
「ずっと、隣にいたんだね」
迷う時も、くじけそうな時も、あなたがいたから、この道を歩んで来た。これからも、ずっと。
涼子ちゃんの歌を唇に乗せながら、私は静かに雑誌を閉じた。