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選外佳作「思い出カメラ 白浜釘之」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第23回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「思い出カメラ 白浜釘之」

『思い出カメラ』とはよく名付けた商品名だと思う。

自分の記憶の中の景色と実際に写真として残っている風景との印象が違っていることはよくあることで、

「ゴールドコーストの夕陽は最高だったよ。今までの人生で見た中で一番大きくて綺麗だった」

なんていっていた友人が撮ってきた写真を見ると、何のことはない、よくある観光写真のできそこないみたいなものだったなんてことはしょっちゅうで、しまいに本人までだんだん記憶が薄れてきて、そのさえない写真を見ても、

「ああ、こんなもんだったかな」

と納得してしまったりしていた。

しかし、この『思い出カメラ』のおかげで本人の思い出をそのままの迫力で写真に残すことが可能となった。

このカメラでは、実際に撮った写真に、自分の見た印象を強く念じることによって、その写真に『思い出補正』と呼ばれる修正を加えることが出来るのだ。

これによって、自分が思っていたままの情景がちゃんと写真として残るようになった。

もっとも、これには脳波を特殊な電波に変えて読み取る装置が必要なため、同じ写真は一枚しか残すことができず、写真もその装置専用の特殊な印画紙でしか現像できなかったが、評判も上々だった。

たとえば先ほどの例で言うと、観光地で素晴らしく感じた景色も自分が感じたまま残せるようになり、実際がどうであれ、

「これはたしかに大きな夕陽だ!」

と写真を見せられた方も素直に感動することができ、観光地などは積極的にこのカメラを置くようになった。

『思い出補正』は、パソコンを使って画像を補正するのと違って、どんなに不自然な光景でも自然に写すことができる。

たとえば憧れのスターと自分が並んで肩を組んで笑っている写真など、実際に会ったことがなくても、『思い出カメラ』では自分の思った通りに違和感なく写真に残すことが出来た。

そういう意味では『思い出カメラ』は念じるだけで自分の好きなように描ける絵画のようなものだった。しかも絵画よりもリアルな情景を描きだすことができる。

最初のうちこそ若者たちを中心としたジョーク商品の域を出なかったが、思い出を多く抱えた中高年層にも次第にブームは広がっていった。

自分たちの青春時代の輝かしい思い出や、別れるときに全ての画像データを消去してしまった昔の恋人との写真が自分の記憶の中の綺麗な姿のままよみがえるのだ。

彼らは、そんな思い出補正をされた写真を、誰に見せる訳でもなくこっそりと机の引き出しにしまい込んで、たまに取り出して眺めては過ぎ去りし日々に思いをはせるのだった。

そんな『思い出カメラ』は私の職場である老人保健施設でも積極的に取り入れられた。

若いころの思い出を写真に残すために思い出したりするのが脳に効果がある、という偉い学者の言葉よりも、できあがった写真を見て思い出話をする老人たちの顔が、たしかにこのカメラの有用性を物語っていた。

そんな中、私は一人の老人の様子が気になっていた。

もともと気難しく厭世的なこの老人はあまりこちらの振った話題に乗ってくることもなく、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていたこともあり、あまり職員内での評判も良くなかった。

しかし、私はひそかに彼がこのカメラを気にしているのに気がついていた。

しかし、他の入所者がカメラを使って思い出の写真を写して盛り上がっているときにも、

「俺にはいい思い出なんて何もないから」

と言って参加しなかった彼だが、誰もいないときに密かにカメラを弄んでいるのをたまたま見掛けてしまったのだ。

私は内緒で『思い出カメラ』に印画紙を忍ばせておくことにした。

果たして、例の老人が手に取った後の『思い出カメラ』の印画紙には何かが写っているようだった。

印画紙を取りだして中身を確かめた私は、他の職員や入所者にわけを言って集まってもらうことにした。そして、例の老人がそこに現れると、私は皆を代表して声を掛けた。

「思い出は、懐かしむものじゃなくて、作り上げていくものですよ」

「……勝手にするがいいや」

そういいながら、彼はちょっとうれしそうだった。

彼の念じた印画紙には、この施設の仲間たちと賑やかに微笑む自分の姿が写っていたのだった。